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『慶安太平記〜秦式部』あらすじ

(けいあんたいへいき〜はたしきぶ)


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【解説】
 連続物の『慶安太平記』は、江戸時代初期の1651(慶安4)年に起こった『慶安の変』(由井正雪の乱)を題材とした読物。徳川に恨みを持った由井正雪が幕政を乗っ取ろうと、丸橋忠弥などの門人と共に、幕府に対して反旗を翻そうとする。神田松鯉一門が演じるこの話は19席。そのうち3分の2ほどが、正雪がいかにして幕府転覆という志を同じにする仲間を集めるかとの話である。この『秦式部』もその一編。

【あらすじ】
 関東一円では5〜6月、今でいう6〜7月、大干ばつに襲われる。百姓たちは雨ごいをするが一滴の雨も降らない。
 ちょうど今は夏休みである。由井正雪(ゆいしょうせつ)は清水八郎ら4〜5人の門弟を引き連れ張孔堂(ちょうこうどう)を出て、浅草寺へとお参りに行き、その後奥山へと立ち寄る。そこには下帯一丁の姿で大きく筋骨たくましく顔が脂ぎっている大道芸者の男がいる。継ぎ足すことの出来る竹棹、一枚の大皿、後ろには水の入った桶が用意してある。男は「これからこの炎天下に雨を降らせる、雨が降ったら銭を放り投げてくれ」と言う。大皿に水を注いで投げ、それを竹棹で受け止める。皿は竹棹の先でクルクルまわるが、水は一滴もこぼれない。竹棹を継ぎ高さはどんどん高くなる。そして弾みをつけると皿は勢いよく回りだす。すると霧水が八方四方に散り七色の虹が輝き客の上に水が降りかかる。見物客はヤンヤヤンヤの大喝采である。客は幾ばくかの銭を放り投げて帰る。
 正雪は清水八郎に耳打ちをする。清水八郎はこの皿回し先生に、ぜひ牛込榎町の屋敷まで来てほしいという。皿回し先生は、牛込榎町というと張孔堂という悪評高い道場があって由井正雪とかいう山師が住んでいる所ではないかと言う。実はその張孔堂に来て欲しいと清水八郎は言う。皿回し先生は最初は嫌だと言っていたが、清水八郎がたっての願いだというので同道することにした。
 正雪の屋敷に招かれた皿回し先生は奥の座敷へと通された。まもなく由井正雪が出て来た。風格・品格のある男で、皿回し先生は姿を見るだけで感じ入ってしまう。酒をグビリグビリと飲み、2人は心が打ちとけ、かなり酒がまわる。皿回し先生は、道場の看板に「上は天文、下は地理まで」と書かれているが、天文までわ分かるのか、関東一円にいつ雨は降るのか」と、正雪に尋ねる。正雪は若い時分に京都で天文を少し学んだが、この先雨が降るかどうかは分からないと答える。皿回し先生は、自分なら雨の降る時節が分かると話し、それならぜひお教え願いたいと正雪は言う。皿回し先生は語る。今月は決して雨は降らない。来月の19、20、21日の間に必ず大雨が降る。どうやらこの皿回し先生はただ者ではない。正雪が身分を尋ねると、長曾我部宮内少輔秦盛親(はたもりちか)の倅で秦式部(はたしきぶ)という者だと答える。秦盛親といえば、四国の鬼と呼ばれ恐れられていた武将だ。正雪はぜひこの道場へ来て下さいと請い、秦式部も承けて、天文と軍学の講義を引き受けることになる。
 秦式部は正雪が、天下を覆すような大事を企てているとの胸中を察している。世間の信頼を得るために、この干ばつを利用したらどうかと勧める。来月の19、20、21日には必ず雨が降る。そこでその機会に合わせて正雪が雨ごいをし、本当に雨が降れば江戸中の大評判になるであろう。正雪はこの案を受け入れた。
 正雪は大きな舟を借り、菊水の紋の付いた旗をはためかせ、品川沖に舟を浮かべる。必ず雨が降るという話が広がり、高輪から品川まで見物客でたいそうな人だかりになる。正雪は舟の上で天に向かって一心不乱に祈祷をする。群衆も手を合わせて拝む。19日は早朝からよく晴れ雲ひとつ現れない。20日も同様である。21日、この日も正雪は雨ごいをする。しかし昼を過ぎても雨の降る気配はない。夕方4時頃になっても雲ひとつない。さすがの正雪も心細くなる。日が傾きかけた頃、正雪は失敗したなと思っていると、辰巳の方角から一陣の風が吹き、黒雲が現れ辺りが暗くなる。正雪が祈祷を続けると、稲妻が光り雷鳴がとどろく。ポツンポツンと雨が降り出し、間もなく雨は怒涛の如く振る。見物人は大喜びである。
 雨は3日間降り続いた。これも正雪先生のおかげだと、江戸中で大評判である。正雪は紀州様や御公儀からもたいそうな褒美を頂く。これもすべて秦式部のおかげである。こうしてまた一人、有能な味方を引き入れたのであった。




参考口演:神田阿久鯉

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