『講談るうむ』トップページへ戻る講談あらすじメニューページへ メールはこちら |


『慶安太平記〜宇津谷峠(宇津ノ谷峠)』あらすじ

(けいあんたいへいき〜うつのやとうげ)


講談連続物『慶安太平記』全編のあらすじはこちらをクリック

【解説】
 連続物講談『慶安太平記』の中ほどに当たり、同話のなかでももっとも良く掛かる部分であろう。後半の吉田宿が火事になる部分は『吉田の焼き打ち』という演題で独立して掛かることもある。落語では立川談志や談春が演じている。芝・増上寺の僧侶、伝達(でんたつ)は京の総本山・知恩院まで2000両の金を運ぶ役を言いつかる。江戸を発った伝達だが、ひとりの商人体の男がしつこく付きまとう。伝達の持っている金を狙っているのか、伝達とこの男の妙な旅は続く。実はこの男は「甚兵衛」という名の大泥棒で宇津谷峠で紀州藩の金飛脚を襲い、3000両という金を強奪する…。

【あらすじ】
 ここは江戸・芝の増上寺。僧侶が三千人もいるという大寺院である。ここに伝達(でんたつ)という僧侶がいた、年は32〜33歳。大男で力があるが、学識にも優れている。大力(だいりき)伝達と呼ばれている。ある日、境内に僧侶が集められる。誰か総本山である京の知恩院に2000両の金を届けてもらいたい。往きは5日、帰りは5日、合計10日間で帰って来なければならない。それが出来なければ死罪。また追剥やゴマの灰に金を盗られたなら弁済しなければならない。それが出来なければ死罪。こんな条件では誰も手をあげないが、ただひとり、大力伝達だけが引き受けると言う。さっそく旅支度にとりかかる。
 翌日の七つ、現在の朝4時頃にまだ暗いうちに伝達は出立する。品川宿まで来ると、後ろから、ツァッ、ツァッ、ツァッ、ツァッと商人体の男が歩いてきて伝達を追い越す。むっとした伝達は足を速め男を追い抜き返す。すると男は伝達の後ろにピタッと張り付く。こいつはゴマの灰か。六郷の渡し、川崎と過ぎ、生麦まで来ると、商人体の男が話しかけてくる。「ご出家様、どちらまでいらっしゃるのですか」「京の本山まで行く」「それではご一緒いたしましょう」「いや、拙僧は一人で行く」「一日に何里くらい歩きますか」「24〜25里は歩く」「たったの。私なら一日で駿府(今の静岡市)までいきます」「48里もあるぞ」。さらに商人体の男は言う。「ご出家様は増上寺の方でございましょう。荷物は金が2000両ですね。その歩き様で分かります」。その通りであり、伝達は驚く。「私は甚兵衛という商人です」、男は名乗る。結局2人は一緒に旅することになった。小田原では昼食を取るが、伝達は僧侶にも関わらず、酒をガブガブ飲み、さしみをムシャムシャと食べる。
 箱根の山中に入り、この先は関所である。ここまで来て甚兵衛は、自分は往来手形を持ってないと言う。そこで伝達の往来手形に「供一名」と付け加えて欲しいと言う。しかし甚兵衛の格好はどう見ても商人で、僧侶の供には見えない。そのことを伝達は問うと、甚兵衛は木の陰に入りしばらくして出て来る。その姿を見て伝達は驚いた。どこに用意してあったのだか、紺のハッピ姿で背中には増上寺の寺印が付いている。これならばどう見ても僧侶のお供である。
 こうして関所も難なく通り過ぎ、夕方には駿府までたどり着く。伝達は酒、肴とたらふく飲み食いし、グッスリ寝入る。甚兵衛は女中を呼び、明日七つ(午前4時)になったら、「六つ(午前6時)でございます」といって、伝達を起こして欲しいと頼み、幾ばくかの祝儀を渡す。
 翌朝、女中は2時間早く伝達を起こす。まだ真っ暗で伝達は「女中が刻限を間違えたか」と言うが甚兵衛はそんなことがるはずは無いと答える。安倍川まで来ると、川を渡す人足がまだ起きていない。ここで初めて甚兵衛は「女中が間違えたのだな」と言う。人足なしでも渡れますと言って、2〜3丁川上まで行き、裸になり、頭に衣類を載せて向こう岸へと渡る。荷物を置いて、また駿府川へと戻ってきた。今度は甚兵衛は伝達を肩車して川を渡るが、中ほどまで来て、「背中の二千両を差し出せ」と凄む。伝達はやはりこの者はゴマの灰であったかと思うが、川の中ではどうすることも出来ない。「命だけは助けてくれ」と叫ぶが、甚兵衛は「冗談ですよ」と言って笑う。
 伝達と甚兵衛は続き、宇都谷(うつのや)峠に差し掛かる。ここは「蔦(つた)の小道」と呼ばれる難所である。甚兵衛はここで一休みしましょうと、タバコをプカリプカリと吹かす。すると一人の男が現れ、甚兵衛に「確かに参ります」と言う。甚兵衛はその男に何やら指図し、男は去る。甚兵衛は伝達に傍らの辻堂に潜んでいてくださいと言う。甚兵衛は木立の陰に隠れる。すると向こうの方から鈴の音がシャンシャンと聞こえる。宰領(さいりょう)の侍、それに供侍に、馬子2人、合わせて4人。馬の背には千両箱が3つ積んでいる。紀州様のお金飛脚であった。そこへ山陰から現れた1人の男。宰領の侍と供の侍と2人続けて斬りかかる。血しぶきが飛ぶ。馬子2人は驚き逃げ出す。馬の背の千両箱3つを降ろす。この男こそ甚兵衛であった。千両箱のうち2つは両掛けにして担ぎ、もう一つは山陰に隠す。出て来ると、また例のハッピ姿であった。一部始終を見ていた伝達は辻堂から出て来た。甚兵衛は「あっちの正体が分かりましたか」。伝達は震え驚く。
 伝達と甚兵衛は、三州・吉田の宿まで来る。元宿の升屋六兵衛の旅籠に泊まる。風呂に入り食事を取り酒を飲み、一日の疲れをいやす。すると「大変なことになりました」と宿の主、六兵衛が入って来た。これから3日ほど滞在してもらわなければならないと言う。宇津谷峠で夜明け前、紀州藩のお金飛脚が盗賊に襲われ、役人は斬り殺されて3000両の金を奪われたという。東海道にはお触れが出て、吉田宿にも厳重な関所が立てられ、宿泊者、それに住人や商人まで一人一人厳しく取り調べるという。お改めが済むまで、誰一人通すことはまかりならんと言うのだ。こう話して主は下がる。宇津谷峠とここ吉田とはかなり離れている。甚兵衛もまさかここまで手配りが来るとは思っていなかった。役人が乗り込んでくれば大変なことになる。
 甚兵衛は宿の女中に荒物屋に行って布草履の草履を買ってきて欲しいと頼む。しばらくして女中はワラの草履しかないといって戻ってきた。そんなはずは無いといって、甚兵衛は宿を出る。またしばらくして甚兵衛は宿に戻ってきた。36ヶ所「伏せ火」を仕組んできたと伝達に伝える。もう二時も経てば、あちこち火の手があがるという。こう言って甚兵衛はクッーと寝入ってしまった。
 さて、二時経って、吉田の町のあちこちでバーンという爆発が起こり、火の手が上がる。半鐘が鳴り、炎に包まれ町は大騒ぎである。宿の主人の六兵衛が、甚兵衛と伝達に「はやくお逃げください」と言ってくる。甚兵衛は両掛けに千両ずつの金を入れ、2人は外に出る。往来はすでに進めない。畑の中の道を歩いて2人はひと息つく。振り返ると、風が吹いているので、火の手はどんどん広がっている。
 「ここで別れましょう」、甚兵衛はこう言って200両の金を渡そうとするが、「泥棒からは金はもらえない」と言って伝達は断る。甚兵衛は、自分が盗むのは大名や大商人など千や二千の金を盗られてもビクともしないような奴等ばかりで、それを貧しい者に恵むのだ、この金で京の祇園や島原で女遊びでもしてくださいという。伝達が「お前の本姓は」と尋ねると、生まれは甲州で父親は武田信玄二十四将のうちの一人、高坂弾正忠の次男、高坂甚内であるという。世が世であるならば千石、二千石取りの武将であった。甲州秘伝の火術が役に立ったと語る。「そのような立派な方であるならば」と伝達は200両の金を受け取る。ここで2人は左右に別れた。
 伝達は京の都に着き、無事に知恩院に二千両の上納金を届ける。しばらく王城の地を見物し、また東海道を下って江戸をめざす。帰り道に由井正雪と出会うことになるのだが、それはまた次回。




参考口演:神田阿久鯉

講談るうむ(http://koudanfan.web.fc2.com/index.html
inserted by FC2 system