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『お歌合わせ〈柳沢昇進録〉』あらすじ

(おうたあわせ〈やなぎさわしょうしんろく〉)


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【解説】
 柳沢吉保(やなぎさわよしやす)は甲府15万石を領した大名であり、五代将軍・綱吉から寵愛を受けて、大老格として幕政を牛耳った人物として有名である。講談の『柳沢昇進録』はそんな吉保が権謀術数をめぐらせながら出世していく様を描いた読物であり、連続物として演じられている。その中でこの『お歌合わせ』はしばしば独立して掛けられ、女性が演じることも多い。
 吉保がまだ弥太郎と称していた頃、優れた歌の才のある妻・お染は将軍・綱吉の生母である桂昌院にすっかり気に入られる。これを足掛かりに吉保も将軍との関係を深め、出世の階段を駆けあがる。

【あらすじ】
 その後、大老格にまで昇りつめ権勢をほしいままにする柳沢吉保(やなぎさわよしやす)。若い頃は弥太郎という名で、牧野備後守の組下であった。ある日のこと組頭である備後守の屋敷を弥太郎が訪れる。備後守は、桂昌院様から歌の会に呼ばれており「ひとり寝の別れ」というお題を頂いているが、良い歌が頭に浮かばず困っていると言う。弥太郎の妻、お染は生まれも育ちも京の都で優れた歌の才がある。弥太郎が請うと、早速「小夜更けて夜半(よわ)の灯(ともしび)消えぬれば我が影だにも別れぬるかな」という歌を詠んだ。この歌は「夜一人で部屋にいて灯りを灯していた。その灯りに照らされて自分の影が障子にうつっている。灯りを消してその影とも別れた」こういう意である。妻の詠んだ歌であることを隠して、この歌は備後守に伝えられた。
 そして桂昌院が催す歌の会で備後守が詠んだ歌として披露される。見事な出来に桂昌院は感心し、その日の会での最上の歌に選ばれる。桂昌院からたくさんの褒美が与えられるが、備後守は恐縮してしまう。実はこの歌は組下の柳沢弥太郎という者の作であることを告げると、桂昌院は是非その弥太郎で会ってみたいと言う。
 こうして弥太郎は桂昌院の御前に参上する。これで出世の糸口をつかめたと思う弥太郎。そこへ桂昌院は「即吟はどうじゃ」と問うが、喜びいっぱいで夢中になっている弥太郎はつい「有難き幸せ」と言ってしまう。早速、桂昌院から「さおひめ」というお題が与えられるが、弥太郎には「さおひめ」というものが何なのかさっぱり分らない。窮した弥太郎は、もともと自分は歌についての素養は無く、実は先の歌は妻であるお染が詠んだものであると白状する。桂昌院は大いにあきれるが、今度はそのお染に会いたいと言う。
 翌日、お染は桂昌院の前に召される。「さおひめ」とは「機織りをする女」のことであり、さらさらと「さおひめの聞くや霞の糸筋の心して見よ山桜かな」としたためる。見事な出来であるが、これは事前にお題が分かっていて詠んだ歌である。そこで次に「船を山に上げよ」とのお題が出される。船を山に上げるとは無理な話である。するとお染は即吟で「富士映す田子の浦たの夕暮れに船漕ぎ寄する雲の上まで」と詠む。「田子の浦の夕凪に白扇を逆さにしたような富士の姿が映っている。そこに一艘の船が通りかかり山頂の部分を通過すると船を山に上げたように見える」こういう意味である。さらに「富士を袂(たもと)に入れよ」とのお題を与える。巨大な富士山を袂に入れるなど、これまた無理な事である。と、これもまた即吟で「旅人が駿河の絵図を頼まれて富士を袂に入れにて来にけり」と詠む。なるほど、絵に描いたものであるなら、どんなに大きな物であっても袂に入れることが出来る。桂昌院はすっかり感心し、莫大な褒美をお染に与える。
 これからお染は事あるごとに大奥へ伺い、和歌の添削をするようになる。桂昌院とお染、両人とも京の都の出身である。お互いに話が合い、桂昌院はお染を大いに気に入る。一方弥太郎は、これを足掛かりに桂昌院の子である五代将軍・綱吉公との関係を深め、得意の弁舌と社交術でもって出世の階段を駆け上がっていく。





参考口演:神田織音

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