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『赤穂義士外伝〜天野屋利兵衛 雪江茶入れ』あらすじ

(あこうぎしがいでん〜あまのやりへえ せっこうちゃいれ)



【解説】
 赤穂浪士の仇討の際に必要な武器を調達し、奉行に責められてもそのことを白状しなかった義商、天野屋利兵衛の浅野内匠頭との固い絆についてのエピソード。浅野の屋敷に出入りしている商人、天野屋利兵衛は内匠頭から宝物蔵のなかの案内を受ける。その夜、家一番のお宝である「雪江茶入れ」がなくなっていることに宝物蔵の当番、貝賀と磯貝は気づく。このままでは2人の切腹は免れない。全く関わりのない天野屋利兵衛は窃盗の罪を被る…。神田派の方が寄席などで短く演じることが多い。

【あらすじ】
 播州赤穂の城主、浅野内匠頭(たくみのかみ)の元に出入りをしていたが有名な天野屋利兵衛。この日も内匠頭の屋敷にご機嫌伺に訪れる。内匠頭は、今日は特別に宝物蔵を案内するという。数ある大名のなかでも浅野様は七福神に例えられるほど豊かな殿様である。蔵のなかには結構なお品がずらりと並んでおり、内匠頭は直々に利兵衛に説明して歩く。最後に利兵衛に見せたのが、この家で最も大切な「雪江(せっこう)茶入れ」である。千利休の師匠であり、かの織田信長の茶道頭を務めた武野紹鴎(たけのじょうおう)が造った茶入である。話には聞いたことがあるがこれが本物の「雪江茶入れ」であるか、見事なお宝であると利兵衛は感心する。こうして数々の宝物を見て、その日はお暇をする。
 間違いがあったのはこの後である。夕方になったので宝物蔵の当番、貝賀弥左衛門と磯貝十郎左衛門が宝物をひとつひとつ改める。すると雪江茶入れが見当たらない。どこを探しても見つからない。2人の顔色が変わった。「偉いことになった、雪江茶入れが無くなった」。こうなれば2人は切腹して責任を取らなければならない。2人は城代家老の大石内蔵助(くらのすけ)の屋敷に相談しにいく。内蔵助は夕餉の最中であった。「我らは切腹してお詫びをしなければならない」。内蔵助は「本日、蔵の中に入った者はいるか」と尋ねる。2人は天野屋利兵衛が入り、お殿様が蔵の中の宝物を案内したと答える。
 内蔵助は2人の切腹を留め、自ら調べることになった。内蔵助は利兵衛の泊まっている旅籠を訪ねる。内蔵助は雪江茶入れが無くなったことを話すと利兵衛は驚く。雪江茶入れが無くなるとどうなりますかと尋ねると、内蔵助は「宝物番である貝賀弥左衛門と磯貝十郎左衛門の切腹は免れないであろう」と答える。利兵衛は、雪江茶入れは自分が盗んだと白状する。殿には内聞にしておくから雪江茶入れを出せと内蔵助は言うが、利兵衛はあまりに見事なお宝であるのでお堀端で見ようとするとツルッと手が滑って茶入れが落ち、粉々になってしまった。証拠を残してはならないと砕けた茶入れは堀の中に投げ捨ててしまったと語る。内蔵助もこの言葉をすっかり信じてしまった。
 夜分であるが、内蔵助は内匠頭にお目通りする。内匠頭は、利兵衛がそのような事をする者ではないと言う。内蔵助が無くなったのは雪江茶入れであると話すと、内匠頭は笑って、自分の手元にあると打ち明ける。いかに立派な宝物でも蔵のなかに入れておいては宝の持ち腐れである、目を楽しませてこそ宝の価値はあるのだと、手元に持ってきたのだ、当番の者に伝えるのは忘れたが、それは自分の手落ちであったと語る。
 とんでもないことになったと内蔵助は引き下がり、再び利兵衛の元を訪れる。利兵衛は「覚悟はできています、縛り首にでも打ち首にでもしてください」と言う。「なぜそのような嘘を付く、雪江茶入れは殿の元にあったぞ」と内蔵助がいうと、利兵衛は涙を流して喜ぶ。利兵衛は先刻内蔵助が訪ねて来た時に「雪江茶入れを見たか」と問われ、自分を疑っているような口ぶりであることに気付いた、出入り商人として賤しくもご城代様に疑われたのでは生きている甲斐がないと思ったという。そこで貝賀様と磯貝様に累が及ぶのならば自分が死んでしまおうとあのような嘘を言ったという。
 内蔵助は天野屋利兵衛の両手をしっかり握った。これが日本の握手の初めだそうである。夜中であるが2人は内匠頭にお目通りする。事情を話すと、内匠頭は生涯このことを忘れないと言って涙を流して喜ぶ。これから内匠頭と天野屋利兵衛は侍同士同様の主従の固い絆で結ばれる。元禄14年3月、内匠頭が吉良上野介(こうずけのすけ)に刃傷に及び切腹になっても、利兵衛のその忠義の心は変わらないのであった。




参考口演:神田松鯉

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