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『赤穂義士銘々伝〜堀部弥兵衛駆け付け』あらすじ

(あこうぎしめいめいでん〜ほりべやへえかけつけ)



【解説】
 堀部金丸(ほりべかなまる:1627〜1703)は赤穂義士四十七人のうちの一人で通称は弥兵衛。義士47人のうちでの最年長者であった。高田馬場の決闘で名をあげた中山安兵衛を娘の婿に迎え、親子ともども吉良邸討ち入りに参加する。
 こんな年寄りでは、討ち入りに加わっても邪魔になるだけだろう、周囲の者たちは考えるが、弥兵衛はやる気満々である。この読み物では高齢の弥兵衛がてんやわんやの騒動を起こす様を面白おかしく描いている。

【あらすじ】
 赤穂義士47人のうちで一番の年かさは堀部弥兵衛で77歳である。人生50年と言われた時代である。弥兵衛は江戸留守居役の上級武士で、周囲からは「爺」と慕われている。元禄15年12月14日、吉良邸討ち入りを前に両国米沢町の弥兵衛の家に義士が続々と集まり、最後の相談、打ち合わせをする。弥兵衛の娘、おこうは義士たちにお膳を用意する。一同は食事をし、酒を飲み、弥兵衛の家を引きあげる。討ち入りは現在の時刻で言えば夜中の1時頃でまだ時間がある。弥兵衛はしばらく身体を休めることにする。九ツ少し前に起こしてくれとおこうに頼み。弥兵衛はこたつの中で寝る。そこへ甥の九一郎がやってくる。こんな年寄りでは討ち入りにいっても足手まといになるだけであろう。このまま寝かしておこうと相談する。しかし時間になって弥兵衛は目が覚める。弥兵衛は身支度をし、九一郎に馬の代わりになれと言う。九一郎は弥兵衛を背負って家を出る。「早うまいれ、早うまいれ」、弥兵衛はムチの代わりに脇差で九一郎の尻を叩く。
 間もなく本所・松阪町へ。大石様が叩く山鹿流の陣太鼓が聞こえる。九一郎には娘の相談相手になってくれと告げて別れる。無事、吉良邸の表門に到着する。いよいよ討ち入りだが、庭には雪が積もっており、弥兵衛はよったりよったり。
 見ると、岡野金右衛門、杉野十平次、千馬(せんば)三郎兵衛がチャリンチャリンとやりあっているのは、吉良側の付き人は小林平八郎で二刀流の達人。刀は1本しか手にしてないが、3人を相手に余裕綽々である。弥兵衛は小林平八郎の相手は自分が引き受けたと言い、3人には上野介を探しにいくように告げる。出てきたのが腰の曲がったヨボヨボのジジイで小林平八郎は驚いた。弥兵衛は槍の名人である。2人はしばらくチャリンチャリンとやり合う。平八郎が守るべきなのは吉良様である。老人相手にいつまでも時間を使っているわけにはいかない。平八郎は弥兵衛の槍の先3分の1のあたりをスパッと斬る。今度は弥兵衛は刀を抜く。またしばらくチャリンチャリンとやり合う。弥兵衛は歳で足腰に自由が利かない。そのうちに雪に足を取られ、仰向けに倒れる。弥兵衛もこれまでか。そこへ大きな瓢箪徳利(ひょうたんどっくり)が飛んでくる。
 登場したのが、高田馬場の決闘で18人を斬った剣豪、弥兵衛の娘婿である堀部安兵衛である。平八郎はもう1本刀を抜き二刀流となる。右剣、左剣と次々に打ち込むが、安兵衛はヒラリヒラリと体をかわす。平八郎は踏み込んだ足が雪でツルリと滑る。安兵衛は上段に振りかぶり、ザックリ平八郎を斬る。「父上、危のうございました」「たわけ者、わしは戯れでわざと転んだのじゃ」。
 やがて吉良上野介が見つかり首を取る。赤穂義士47人は高輪・泉岳寺へと引き揚げ、忠臣の鑑と称えられるのであった。




参考口演:神田鯉風

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