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『赤穂義士銘々伝〜千馬の槍(千葉の槍)』あらすじ

(あこうぎしめいめいでん〜ちばのやり)



【解説】
 この読み物では、主人公の千葉友之丞、のちの千馬三郎兵衛は、武州平間村(現在の川崎市)の郷士の出身となっているが、実際には摂津国高槻藩の家臣の倅であったという。名前を借りただけの全くのフィクションである。千葉友之丞は、友蔵、それに70歳になる市助を伴って伊勢詣りへと出かける。市助は槍持ちで先祖伝来の「矢の根の槍」を持参している。高齢の市助は道中どうしても遅れがちである。この日も市助は岡崎の宿へ遅れて着いた。宿を間違え、岡田軍右衛門という尾州公の家来とその一行の部屋へと入ってしまう。詫びる市助だが、岡田軍右衛門は市助の持参した先祖伝来の槍を返そうとしない…。

【あらすじ】
 武州の平間(ひらま)村というから現在の川崎市、ここに郷士(ごうし)で千葉友右衛門という者がいる。郷士というのは侍の待遇を受ける農民のことである。友右衛門には友之丞という倅がいて、文武ともに優れており、特に槍の腕は秀でている。
 友之丞が25歳のときのある日、父親に伊勢参拝に旅立ちたい、供には若い林蔵を連れて行きたいという。友右衛門としても異存はなく、先祖伝来の矢の根の槍を持参していくよう勧める。さらに、友之丞が子どものころから世話をしてきた70歳になる爺や、市助も一緒に付いていきたいという。共に旅をするのにはあまりに高齢であるし、友之丞は若い者同士で旅をしたいとおもっている。しかし頑固者である市助はどうしても一緒にいくと言ってきかない。しかたなしに市助は槍持ちとして、3人で旅をすることになる。市助は帰りに孫のためのおもちゃを買ってこようと大喜びである。
 川崎を発って箱根山を越えるが、年取った市助は遅れがちである。友之丞は「これで安い馬にでも乗ってくれ」と小遣いを渡す。
 日数を重ねて次の宿泊地は岡崎で、定宿は「桔梗屋」と決まっている。友之丞もこの宿の名を市助に伝えておく。後からまいりますと、市助は往来で一休みしプカリプカリとタバコをふかす。こうしているうちに市助は今日泊まる宿の名前を忘れてしまった。なに、友之丞様の泊まる宿には、月星の紋の幕を張ってあるから大丈夫だと思っている。
 市助はその月星の紋の幕の張ってある脇本陣、和田屋へと入る。もう夕方なのに番頭は「お早いお付き様で」という。主人は随分前に宿に着いて、今は部屋で一杯やっているという。市助は矢の根の槍を番頭に預け、唐紙をあけ「遅くなりました」と部屋に入ると、見知らぬ5〜6人の侍がおり酒の盃を傾けている。聞くと彼らは尾州様の家来で岡田軍右衛門という者とその門弟である。千葉家と岡田家、同じ月星の紋を使っていたのだった。「これは間違えました」といって、市助は下がる。宿の者の話だと、同じ紋を使う千葉様なら、この先の桔梗屋が定宿であると話す。市助は先ほど預けた槍を返してもらおうとするが、岡田文左衛門の部屋の者が「その槍を少し見てみたい」といって持ち帰ってしまったという。市助は「あの槍は先祖から伝わる大事なもので返して貰いたい」というが、岡田文左衛門は「お前の主人が直々に、部屋を間違えた詫びに来るまでこちらで預かっておく」と言葉を返す。市助は桔梗屋に向かい、泣きながらいきさつを友之丞に話す。友之丞の顔色が変わった。すぐに詫びに参ろう。
 大小は宿に預け、和田屋へと赴く。さっそく、岡田軍右衛門に挨拶すると、相手は「イモ侍か」という。軍右衛門は考え方が変わったという。槍を返して欲しければ、無礼をした下郎の首をここに持ってこいというのだ。悄然として友之丞は桔梗屋に戻る。友之丞は事情を話す。粗相をしたのは自分の責任であると、市助は首を斬られる覚悟を決めた。庭に敷かれた粗莚にどっかと座る。銭が20あるので、孫へ渡すおもちゃを帰りに買ってきてくれと言い残す。友之丞が刀を振り下ろし、市助の首が落ちる。
 和田屋へ向かった友之丞は、白髪交じりの男の首を軍右衛門に見せる。こうして先祖伝来の矢の根の槍は友之丞の手に戻った。友之丞は感謝の言葉を市助に言う。「オヤジの仇」、友之丞は槍を軍右衛門に向かって突きたてる。「なにをする」、岡田軍右衛門も刀を抜くが、友之丞の槍が見事、相手の脇腹に深く突き刺さった。「人道にもとりし尾州の家来、岡田軍右衛門を千葉友之丞討ち取ったり」、岡田軍右衛門の門弟で師匠の仇を討とうという肝のある者はいなかった。
 宿場では鐘が鳴り、辺りは大騒ぎである。役人に捕まっては恥辱と友之丞は逃げる。すると赤い大きな門を構えた寺がある。この寺の中で切腹しようと友之丞は入り込んだ。右手には槍を、左手にはオヤジの首を掴んでいる。この寺には、播州赤穂の主、浅野内匠頭が所用があって泊まっていた。原惣右衛門が異様ないでたちをした友之丞に気付き、子細を聞く。話は内匠頭に伝わり、千葉友之丞の切腹は押し留められた。浅野内匠頭が尾州公へと掛け合い、当家には岡田軍右衛門というような者はいないとの返答を貰う。そのような卑劣な家来がいてはお家の恥辱だと考えたのであろう。けっきょく、友之丞へのお咎めはなく、そのまま伊勢参拝を済ませ、無事平間村へと帰ることが出来た。「今の自分の命があるのは、浅野内匠頭様のおかげ」と父親に申し出て、これから浅野家に仕えることになる。名は三郎兵衛、また尾州家に憚って姓を「千葉」から同じ読みの「千馬」に変えた。元禄15年12月14日、吉良邸討ち入りの際にはこの千馬三郎兵衛もまた目覚ましい活躍をするのであった。




参考口演:八代目一龍斎貞山

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