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『赤穂義士銘々伝 大高源吾』あらすじ

(あこうぎしめいめいでん おおたかげんご)


【解説】
 数ある『赤穂義士伝』の中で、『安兵衛 高田馬場駆け付け』と共にもっとも掛かる機会の多い読物であろう。『大高源吾と室井其角 両国橋の出会い』『義士と俳人 雪の両国橋の出会い』『両国橋の別れ』などの演題が使われることもある。吉良邸討入りの前日、大高源吾と其角が両国橋の上で出会うという設定は歌舞伎でもお馴染みである。
 大高忠雄、通称・源吾(「源五」とも)は20石5人扶持の侍で1672(寛文12)年の生まれ。討入りの時は31歳であった。俳諧の道にも通じ子葉(しよう)という号を持ったこと、宝井其角と交流があったことなどは、話中にある通り。

【あらすじ】
 赤穂義士四十七士に中に大高源吾忠雄という者がいた。大高源吾は四十七士の中でも数少ない、仇の吉良上野介の面体を知っていた者である。彼は俳人の水間沾徳(みずませんとく)という者の門弟で、俳句の名を子葉(しよう)といった。
 12月13日、今日はすす払いの日である。大高源吾は煤竹を売って、吉良の様子を探っている。雪の降る中、ボロ半纏にボロの股引の姿で両国橋を渡っていると、「子葉先生ではございませんか」と声を掛ける者がいる。茅場町の宗匠とも呼ばれる宝井其角(たからいきかく)である。其角は懐中から紙と矢立を取り出し、サラサラと「年の瀬や水の流れと人の身は」と認める。大高源吾はその下に「明日待たるるその宝船」と付ける。其角は大高源吾のボロボロの服装から身の上を察し、自分の着ていた羽織を脱いで彼に着せる。こうして2人は別れる。
 立派なお武家様であった大高源吾があれほど貧しい身なりをしている。「明日待たるるその宝船」とは、了見まで賤しくなってしまったのかと其角は思う。そこで其角ははっと気づいた。あの羽織は松浦様から貰った物だ。人様から頂いた物を黙って他の者に渡してしまっては申し訳ない。
 其角は本所・二ツ目まで行き、肥前平戸の元の城主で今は隠居をしている松浦壱岐守を訪れる。両国橋で煤竹を売っている大高源吾と出会い、譲って頂いた羽織を彼に与えたことを詫びる。壱岐守は大高源吾の残した句を聴き、「今日はいっか。二百六十余大名旗本八万騎の荒行寒からしむ」と訳の分からない事を口走る。其角は句の書かれた紙を壱岐守に渡し、酒を頂いて家へ帰る。其角は壱岐守の言った「今日はいっか。二百六十余大名旗本八万騎の荒行寒からしむ」の意味を考えるがどうにも分からない。そんな其角の様子を妻は不安気に見る。
 朝になり、家を訪ねて来た男から、今日は納めの俳句の会が土屋様の屋敷であると聞かされる。土屋様のお屋敷は吉良の屋敷の隣りだ。「それだ」と思う其角。「明日待たるるその宝船」の真意が分かった。其角は土屋の屋敷に向かう。ここでは江戸の名高い俳人が揃うなか俳句の会が催される。雪が降っているということで其角は屋敷に泊まる。夜中、門を叩く音がする。隣の吉良邸に討ち入ることを告げに来た大高源吾らであった。「子葉宗匠!」と其角は叫び、このような立派な志があったことを知らなかったと昨日の無礼を詫びる。「我が雪と思へば軽し笠の上」と其角は詠んだ。
 この同じ刻限、松浦の屋敷で壱岐守は、赤穂義士の鳴らす山鹿流の陣太鼓の音に耳を傾けながら、浪士が本懐を遂げることを祈るのであった。




参考口演:一龍斎貞水

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