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『赤穂義士伝〜最後の大評定』あらすじ

(あこうぎしでん〜さいごのだいひょうじょう)



【解説】
 内匠頭の刃傷、切腹のあと浅野家はお取り潰しになり、残された家来には金子が分配される。多くの者たちはこの後姿を消してしまうが、56人が赤穂城に残り亡き殿を追って殉死するという。その中の一人、矢頭右衛門七はまだ十六歳で、大石内蔵助の嫡男の主税に次ぐ若さである。殉死するには若すぎる、内蔵助は彼を除外しようとするが、右衛門七は「この死に装束は母親が縫ってくれたものです、一員に加えてください」と必死に訴える…。

【あらすじ】
 元禄14年3月14日、殿中松の大廊下にて積もる遺恨から播州赤穂藩の藩主、浅野内匠頭(たくみのかみ)は吉良上野介(こうずけのすけ)に対して刃傷、内匠頭は即日切腹になり浅野家は改易となる。至急の駕籠でこの事をいち早く赤穂に伝えたのが早水藤左衛門と萱野三平で3月18日に到着する。続いて原惣右衛門が第二の使者として片岡源五右衛門が認めた書状を赤穂に伝える。この書状には刃傷から切腹までの様子が事細かに記されている。赤穂の者たちはみな驚き、動揺をする。
 すぐさま城中では評定が開かれ、金子分配ということになる。つまりはお城に残った財産を家中の者で分けようという訳で、退職金みたいなものである。しかし金が関わると人の心が良く分かるものである。貰う物を貰うと不忠な者たちは姿を消してしまう。妻や子を連れ赤穂を立ち去る者が続出する。赤穂の城は明け渡されることになるが、籠城を主張する者もいれば、殉死、追い腹を主張する者もいる。すべては城代家老の大石内蔵助(くらのすけ)が決めることである。4月14日、最後の大評定が開かれる。
 その前日、内蔵助から一同の者に通達がある。亡き殿、冷光院殿(れいこういんでん)に殉死するため死に装束着用の上で一同まかり越すべき。しかし集まった人数は56人であった。内蔵助はこの数の少なさに嘆く。まず内蔵助は自分が切腹するので一同あとに続いて欲しいと言う。原惣右衛門が発言する、この小人数では戦ってもなんにもならない。こうなったら冥途黄泉(めいどこうせん)にて殿にご奉公すべきではないか。内蔵助は一同の顔をうかがうが迷いのある者は誰もいない。
 見ると末席に一人の少年が座っている。まだ前髪立ちである。内蔵助が呼び寄せると、矢頭長助の倅で右衛門七(えもしち)で16歳であると言う。実に見事な心構えであると内蔵助は感心する。右衛門七の父はすでに亡くなり、一人老母がいるが、彼がいなくなれば母は嘆き悲しみ、これから苦労するであろう。内蔵助は右衛門七にこのまま家に立ち返って、我らの追善をしてくれるようにと告げるが、右衛門七はなおも殉死したいと言う。内蔵助は前髪立ちの者まで殉死させては恥辱になると言うが、右衛門七はそれならば自分より年下である内蔵助の倅、主税(ちから)様はいかがでござりますかと迫る。ご家老の倅は腹を着ることが出来、小身者の自分には出来ないというのか。今日着てまいった死に装束も母が縫ってくれたもの。母の覚悟も出来ている。ならば主税様と刺し違えると、腰の小刀を引き抜き斬りかかろうとするが、周りの者たちが押し留める。内蔵助は涙を流す。「冥途黄泉へ共に来てくれるか」、右衛門七は「ありがたき幸せ」と言い主税の隣に座る。
 内蔵助は九寸五分を抜くが、また鞘にと納める。「ご城代様、いかがなされましたか」。内蔵助は切腹は取り止めたと言い、仇討の考えを打ち明ける。ここで殉死をしても殿はお喜びにならないと、一同の者も納得する。内蔵助は連判状を出し、居合わせた者は我も我もと血判をする。
 さて、困ったのが先ほどの矢頭右衛門七である。母親とは水盃まで交わしたのに、家へ戻らなければならないのである。肉親と言えど、仇討のことは他言出来ない。なんと言い訳したらよいものか。母親は仏間の前で手を合わ、我が子が見事な最期を遂げられますようにと祈っている。すると玄関先でガタガタと音がするので見てみると、そこには右衛門七がいる。まさか卑怯未練で逃げて来たのか。右衛門七は評定の結果、殉死をするよりはお家再興を願おうということになったと説明する。母親が右衛門七の指先を見ると懐紙が巻いてあり血が滲んでいる。これは血判の時に出た血であった。これに気付いた母親はすべてを悟り、ゆっくり休むようにという。緊張の糸が緩み、右衛門七はグッスリ寝込む。
 しばらくして仏間の方でガタッガタッという物音がする。右衛門七が駆け付けると、辺り一面血で染まっている。母親は絶え絶えの声で話す。城で面白い企みが話されたのであろう、その企みを親にも喋るなと言われて来たのであろう、これで母親への未練が断ち切れるであろうからその企みを教えて欲しい。右衛門七は迷った。今際の際の母親に仇討のことを伝えるべきか、いかなる場合でも秘密を漏らしてはならないという大石様に従うべきか。孝を立てるべきか、忠を立てるべきか。ここで仲間の一人が訪ねて来た。右衛門七は仇討の件を母親に告げるべきか内蔵助に尋ねてきてくれと頼む。話は即座に伝わり、内蔵助はすぐに右衛門七の家に駆け付ける。仏間に入った内蔵助は仇討を成就させ吉良の首を殿の墓前に供える覚悟であることを話す。母親は「ありがとうございます、これで安心して長助様の元へ旅立てます」。右衛門七に大願が叶うよう祈ると言い残して母親は息絶えたのであった。
 元禄15年12月14日、赤穂浪士47人は吉良邸に討ち入る。矢頭右衛門七は浪士揃いの火事装束の下に母親の縫った死に装束を身に付けていたという。右衛門七の働きもまた見事で仇討を無事成し遂げたのであった。




参考口演:一龍斎貞寿

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