『講談るうむ』トップページへ戻る講談あらすじメニューページへ メールはこちら |


『山田浅右衛門 大場仁庵』あらすじ

(やまだあさえもん おおばにあん)



【解説】
 公儀お土圭(とけい)の間に勤めていた坊主、大場仁庵は大悪党でお役御免になる。それからも反省することなく様々な悪事を重ねる。ある時バクチで50両という借金を抱えてしまった。そこで山田浅右衛門という者がいることを思いつく。死罪となった罪人の首を斬る役人で、首を斬った後は死骸から肝を取り出して、それを薬として売って大儲けしているという。自分もいずれ死罪になる身。それなら前もってその肝の代金50両を払ってもらおう、こんなことを考える。なんとも後味の悪い話だが、こういう読み物があるというのもまた講談の面白さである。

【解説】
 江戸時代の中頃、天明年間の話。公儀お土圭(とけい)の間(ま)で時間を見る任に当たっていた坊主の大場仁庵(おおばにあん)は道楽者で酒は飲むはバクチは打つは、さらに金に困ると辻斬り・すっぱ抜きまでするという大悪党である。さんざんに注意されるがまったく悔悛する様子もない。あまりの悪行のためお役目後免になり、今は大場仁三郎、通称ニサ坊主と名乗り遊び人として生活を送っている。この男がまた目の覚めるような美男子であった。
 ある時に芝の山内でバクチをするがすぐに35両という金を擦ってしまう。知り合いから金を借り50両という金を集めるが、これもバクチにつぎ込んでたちまちのうちに取られてしまう。がっかりして外へ出る。今日借りた金は明日には返さなければならない。どうするか迷った仁三郎は山田浅右衛門から金をせしめようと思い立つ。
 山田浅右衛門(あさえもん)は九代続く首斬り役人で、死罪となった者の首を斬る役目である。首を斬った後、身体から生き肝を取り出しそれを薬、山田丸(がん)と称して売って大層儲けていると噂されている。仁三郎はすでに人を3人ばかり殺しているし、他にもずいぶんと悪いことをしてきた。遅かれ早かれ首を斬られる身である。浅右衛門に、自分の肝を使って儲けるなら今ここで50両の金で前もって買い取るようにと迫る。浅右衛門はこれを承けて50両の金を出す。これから先も自分の肝はますます大きくなりますから、こんな捨て台詞を残して仁三郎は浅右衛門の宅を去る。
 これから、仁三郎はしばらくの間お上に捕らえられることはなかった。ちょうど3年経った雨の降る日、熊野神社前の坂に湯屋へ行く途中で10人ほどの役人に囲まれ捕らえられる。仁三郎は着ていた着物を投げつけ役人連中が怯んだ隙に逃げだすが、ひとり待ち伏せしていた役人がいた。仁三郎はとうとう捕らえられる。小伝馬町へと牢送りになり、打首になることが決まる。雨の降る日に傘を差した首斬り役人の浅右衛門が現れる。「私は仁三郎です。以前ずいぶんとお世話になりました」「そうか、仁三郎であったな」「痛くないようにどうかスパッと斬って下さい。今夜礼に参りますから」。仁三郎は最後の言葉を残す。雨がいっそう強くなってきた。浅右衛門は刀を振り下ろし仁三郎の首が前に落ちる。
 役目を終えた浅右衛門は屋敷に戻るが、その夜高熱にうなされる。薬を飲むと少々熱も治まったようだ。召し使いに雪洞(ぼんぼり)を持たせて厠にいく。その帰り雨戸を開けると、昼からの雨がまだシトシトと降り続いている。「あそこに誰かいます」、召し使いが言う、庭の物陰を見るとそこには真っ青な顔の仁三郎の姿がある。「仁三郎か、言葉どおり礼をしに来たのか」、仁三郎が顔をあげると姿がスッと消える。
 浅右衛門が罪人の生き肝を売って大儲けしているというのは、だたの噂話であった。それどころか死んだ罪人の菩提を念入りに弔い、辞世の句を解するために詩歌も学んでいた。浅右衛門は病の床につき間もなく亡くなる。浅右衛門の辞世の句「蜩(ひぐらし)や地獄をめぐる油皿」。これは自分が斬ってきた罪人たちのもがき苦しむ様を詠んだものか、あるいはこのような人の命を奪う稼業で生きる自らの憂苦を詠んだものか、今となっては分からない。




参考口演:田辺いちか

講談るうむ(http://koudanfan.web.fc2.com/index.html
inserted by FC2 system