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『良弁杉の由来(りょうべんすぎのゆらい)』あらすじ




  奈良の大仏の建立を聖武天皇にお勧めしたのが良弁(りょうべん)。生まれは近江国滋賀郡。幼い時に父親を亡くし母が女手ひとつで育てていた。二歳の時のある日、いつものように母親は桑畑に出て、子供は後ろの草むらで遊ばせながら一心に仕事をしていると、大きな鷲が舞い降りてきて、遊んでいた子供に爪を掛け、そのまままた飛び上がった。母親は子供の姿が消えたことに気づき、空を見上げると大きな鷲が子供を抱えて飛び去って行く。「坊や」。一生懸命跡を追うが、みるみる姿は見えなくなってしまう。
 飛鳥の岡寺に義淵(ぎえん)僧正という偉いお坊さんがいた。ある時数人の弟子を連れて春日明神に参詣しようと春日野に差し掛かる。どこからもなく子供の泣く声がする。向こうの高い杉の枝の上で大きな鷲が人間の子供の肉をまさについばもうとしていた。僧正はすぐに印を結び真言を唱えると、鷲は子供を残して飛び去ってしまった。
 子供を枝から無事降ろした。怪我もない。この子供はどこの子だろう。探ってみると守り袋に入った木彫りの仏様を肌に付けている。
 寺に連れていかれ、この子供は良弁と名付けられた。大変利発な子で十三歳になる頃には大人も及ばない知識を持つまでになる。ある日、良弁は師匠の義淵に自分の親の事について尋ねる。義淵は春日野での出来事を話す。その時身に着けていた木彫りの仏を良弁に渡し、真の親に会うことが叶うよういつも心がけるようにと言う。さらに勉学に励み、義淵が亡くなった後は、岡寺の住持になり、聖武天皇に学問を教えるようにまでなり、天平十七年には東大寺の初代別当になった。
 一方、子供を奪われた母親は、いつも「子供を返せ」と叫びながら精神を病み、国から国へと巡り歩くこと五十年。
 五十年目のある日、山城の淀のほとりで水に自分の姿を映していた時に忽然と頭の狂いが治った。あの子はもうこの世にはいなかろう、近江へ向かって歩く。渡し船に乗っていた時、男たちが、奈良の大仏の建立をお勧めした良弁様は二歳の頃どこからか鷲にさらわれ、杉の木の上で泣いていたところを助けられたと話しているのを聞く。もしやその良弁様は自分の子供ではなかろうか。
 母親は奈良へ行き、東大寺を訪ねる。門番にののしられているところ、一人の老僧が現れる。母親は五十年前の事を話し、その時鷲にさらわれた子供はもしや良弁様ではないかと告げる。老僧はこの女の身の上をさらさらと書付にしたためる。良弁様は杉の木の根方で願掛けするのが日課なので、この書付をその杉の木の根元に置いておけばきっと良弁様の目に入るであろうと言う。春日野の高い杉の木の根元に書付を置き、母親は木の陰で待っている。輿に乗った紫色の衣を着た立派なお坊様、良弁がやってくる。良弁は根方の書付を見つけ、母親は姿を現した。木で刻んだ仏様が証拠になり、母と子であることが証明された。抱き合って喜ぶ二人。良弁は母親に孝養を尽くし、天寿を全うし、子安明神として祀られた。良弁僧正の発見された杉の木は誰いうとなく良弁杉と言われるようになった。




参考口演:田辺一邑

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