『講談るうむ』トップページへ戻る講談あらすじメニューページへ メールはこちら |


『頼朝の夜這い』あらすじ

(よりとものよばい)



【解説】
 「源平盛衰記」のうちのひとつで「源頼朝公の御夜這い」とも。上方で掛かることが多く、東京では神田春陽が演じる。源頼朝は意気地がないくせに無類の女好き。その「女好き」故に運命が変わってしまう…。落語でいうところの「バレ噺」。頼朝といえば東国の武士団を束ね鎌倉幕府を開いた日本史上の英雄だが、それを面白おかしく茶化す、笑いの多い読み物である。

【解説】
 平治元年、源義朝(よしとも)は待賢門(たいけんもん)の戦いで平清盛の軍に敗れ、尾張国・野間の長田庄司(おさだしょうじ)の方へ落ち延びる。また三男の源頼朝(よりとも)も馬に乗って美濃路を敗走するが、平宗清(むねきよ)の兵が迫り、「アー」と叫んで馬から落ちた。たちまち取り押さえられてしまうと、頼朝は「命だけは助けてくれ」と涙を流して乞う。宗清は頼朝の縄を解き、都へと引き連れて戻ったものの、頼朝は泣くばかり。「わしはもう侍ではない、亡き人の菩提を弔う」と言って念仏ばかり唱えている。この様子を見ていた平重盛(しげもり)が頼朝を哀れに思う。平清盛と相談し、頼朝は伊豆・蛭ヶ小島(ひるがこじま)へと流罪になった。
 頼朝を預かったのが伊東祐親(すけちか)である。なにしろ源氏の将頭であるからぞんざいに扱うことは出来ない。頼朝のために一軒の家を建てる。源氏の侍、安達藤九郎盛長(あだちとうくろうもりなが)が傍について世話をすることになる。藤九郎はなんとかしてこの頼朝を盛り立て、再び源氏の白旗を翻したいと思っている。しかし頼朝は念仏ばかりあげてボッーとしている。もう源氏が歯向かうことはない、伊東祐親も都の平氏も安心している。
 こうして2年3年が経った。この頃には頼朝に自由が許され、ちょくちょく伊東の屋敷に遊びにいく。伊東祐親には大姫という一人の娘がいた。姫は頼朝に惚れ、二人はそのうちにいい仲になる。ついには姫は蛭ヶ小島の頼朝の家に忍んでいくようになる。間もなく大姫は懐妊する。祐親が都に出向き留守にしている間に、男の子が生まれ、「源氏丸」と名を付ける。このことを祐親の息子、祐清(すけきよ)が都の父親に伝える。これを聞いた祐親がカンカンに怒って伊豆に戻る。祐清に頼朝を捕らえて来いと命令するが、実は祐清はもう平家の世は長くないと思っていた。そこで頼朝をそっと逃がす。頼朝、藤九郎らは相模国・足柄の主、北条時政(ときまさ)の元に向かう。頼朝は大泣きしながら時政に助けて欲しいと頼む。仕方なしに時政も屋敷に留めることにする。
 時政には2人の娘がいた。姉が政子、妹が時子。時子は美人で愛嬌があるが、政子は美人というわけでなく親しみにくい娘。またも悪い虫が騒ぎ出し、頼朝は藤九郎に時子への恋文を届けてくれと言う。しかし頼朝は頭が大きくとても女性にもてるような男ではない。それに時子にはすでに縁談の申し込みが多数ある。一方で政子は言い寄る男もおらずさみしい思いをしている。そこで藤九郎は恋文を政子に手渡す。手紙には「時子殿」へと書いてあるがこれは間違いであると藤九郎は言い張る。頭の切れる政子は、藤九郎が頼朝との仲を取り持ってくれるのだなとピーンと来て、恋文を受け入れるという。藤九郎は時子が頼朝の願いを受け入れてくれたと報告する。頼朝は大喜びである。
 夜になり暗がりの中、藤九郎はここに時子が寝ていると偽って、政子の寝間へと案内する。恥ずかしがっているので灯りは消してあると藤九郎は説明する。そうとは知らず頼朝は政子の横たわる床に入る。夜が明けて、頼朝は相手が政子だと気づく。藤九郎は偽ったことを謝りながら、流人の身でありながら女を追いかける頼朝を責める。しかし味を占めてしまった頼朝。たった一回だけではもったいないと、またも夜這いをかける。藤九郎が政子の寝間の前で「兵衛佐(ひょうえのすけ)様ァ、ご夜這いでございますゥ」と叫ぶ。今度は灯りを付けたままである。
 北条時政はこの話を聞きつける。実は時政は間もなく平家の命運は尽きると思っていた。この頼朝を使って天下を操ってみせよう。頼朝は北条の助けを借り、石橋山の戦いで旗揚げする。「佐殿(すけどの)のお夜這い春の天下かな」。夜這いが天下取りに繋がったという、長い源平盛衰記のうち「頼朝の夜這い」という一席。




参考口演:神田春陽

講談るうむ(http://koudanfan.web.fc2.com/index.html
inserted by FC2 system