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野球大統領

(やきゅうだいとうりょう)


【解説】
 田辺一鶴の作であり、今でも田辺派の人たちを中心に演じられる。一鶴は審判員の資格を持つほどの野球愛好家であった。
 ウィリアム・タフト(1857〜1930)は、第27代アメリカ合衆国大統領。大統領として1909年から1913年まで在任した。体重が百数十キロもあるという巨漢で、野球やゴルフなどのスポーツを好んだという。1910年、ワシントン・セネタースの開幕式での始球式が、その最初となったのはこの読物の通りである。

【あらすじ】
 1910年、明治でいうと43年のこと、ボストン・レッドソックスのウッド監督はナショナル・リーグの会長になっていた。もっと老若男女に野球を広めたいと、国民的人気のあるタフト大統領を始球式の投手として招待したいと考える。ホワイトハウスに電話すると、運動不足の大統領の元気な姿を見せるのはよかろうと4月10日の開幕戦の始球式を引き受ける。このような催しの場合たいていはボランティアなのだが、なぜかギャラは800ドルだと大統領側は言う。
 さて、当日、巨体のタフト大統領が満員のワシントン・グリフィス球場のマウンドに立つ。振りかぶって投げた球は勢いよく見事ミットのど真ん中に。ストライク。「よっ、大統領」という掛け声はこの時始まったととか。
 マウンドをおりて、大統領とウッド会長は話す。「私は三十何年か前、レッドソックスを3日でクビになったビルですよ」。大統領が言うと、ウッド会長ははるかかなた昔のことを思い出した。レッドソックスの監督をしていたときに、野球が大好きで毎日練習場にやってくるビリー坊やがいた。年とともにビリー坊やは大きくなり、17歳のとき入団試験を受けにきた。このぐらいの力量のある者ならいくらでもいるとは思ったものの、一応入団させたが、やはり大選手になるような人材ではないとキツイ言葉を言って追い出し、両親の元に返してしまった。ドサクサに紛れ、その時の入団金800ドルは払わないままになっていた。始球式のギャラの800ドルはこの時の冗談からだったのだ。
 「あの時キツイ言葉を言って野球を諦めさせてくれたから、その後勉強に励み、今こうやって要職を務めることが出来ているのです」、タフト大統領は言う。それから代々、始球式には時の大統領が出るようになったと言う。




参考口演:田辺一乃

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