『講談るうむ』トップページへ戻る講談あらすじメニューページへ メールはこちら |


『水戸黄門漫遊記〜釈場の喧嘩』あらすじ

(みとこうもんまんゆうき〜しゃくばのけんか)



【解説】
「水戸黄門」と言えば助さん格さんを引き連れての諸国漫遊があまりに有名だが、この話では「松雪庵元起」という俳諧師に扮装した越後国高田藩の元藩主がお供になる。
 仙台の町に到着した光圀公と元起。ブラリと町中の講釈場へと入ると、一恩という講釈師が「越後騒動」という読み物を演じている。高田藩のお家騒動を面白おかしく語られることが悔しい元起。光圀公とともに途中で寄席を出ようとするが、これに一恩が怒り大騒動となる。「わしは天下の御記録読みだぞ」、頭の固い講釈師のこの台詞を、講釈師自身が語ると妙におかしい

【あらすじ】
 水戸光圀は松雪庵元起(しょうせつあんげんき)という俳諧師をお供にして諸国漫遊の旅に出る。実は元起は、越後国高田藩の元の藩主、松平越後守の家臣の息子である、高田藩ではお家騒動が起き松平家はお取り潰しになったが、そのお家再興のために光圀公の力を借りようと、俳諧師の姿になって近づいたのだ。
 その2人が仙台の街に到着し、芭蕉の辻の藤屋という旅籠に泊まる。夕方ブラリと街に出てみると、一軒の「講談定席」と書かれた小屋がある。どんなものだか見てみよう、2人は木戸銭を払って講釈場へ入る。なかは客でいっぱいで一恩という講釈師が「越後騒動」を演じている。今日はいよいよ忠臣の関根弥次郎が、悪人小栗美作の屋敷に乗り込み34人をなで斬りにするという場面である。客席が湧きたつ。光圀公も身を乗り出して聞き入る。関根弥次郎が4尺もある大刀を振り上げ、悪人の手下、15人ほどの者どもの首がゴロゴロと転がる。これを聞いて松雪庵元起はポロリと涙を流す。お家の騒動をこのように面白おかしく戯れ話にされるのが悔しいのだ。光圀公も元起の様子を察し、講釈なのだからくだらなく話すのは仕方ないというが、2人は釈場を出ることにした。
 2人席を立ち小屋を出ようとすると、講釈師の一恩が呼び止める。「客人待った、なぜ中座をするのだ。ワシの講釈のどこが悪い」。光圀公は厄介な人物に絡まれたと思う。旅の者でもう時刻が遅いのでと言い訳するが、一恩は聴き入れない。一恩の贔屓の客たちも「帰ろうとするから悪いんだ、やっちまえ」と言って、4〜5人がポカポカ光圀公を殴る。腕に覚えのある光圀公は客を投げ飛ばす。飛ばされた客が一恩に当たる。大勢の客がタバコ盆や座布団を投げる。喧嘩は大きくなるばかりである。ここで町役人が入ってきた。光圀公と一恩は番所へと連れていかれ、町役人は2人の言い分を聞き、喧嘩両成敗ということで収めようとする。しかし一恩は「ワシは天下の御記録読みだ」と言って聞かない。怪我人も出ている、この者たちを牢屋へぶち込めという。そのうちに釈場で鉄の如意が見つかった。元起が護身のために持っていたもので喧嘩では用いていなかったが、このような武器をもっていたことが問われて、翌日奉行所へ出頭することになった。面倒なことになったと思う光圀公。
 翌日南奉行所。取り調べるのは奉行の天童内喜(てんどうないき)である。光圀公は殴りかかってきたのは向こうで、こちらは向かっていた者を投げ飛ばしただけだと述べる。元起も鉄の如意は使っていないと話す。光圀公は住まいを問われ、江戸小石川の富坂であると告げ、生まれながらの俳諧師であるという。天童内喜は「生まれながらの俳諧師という者があるか」と詰問する。「この者たちを牢に入れよ」。そこでバタバタと取次の者が、至急の書状を天童内喜に渡す。仙台藩主の伊達綱村公からの書状で、水戸の御老公様がお供の者とともに仙台の街へ入ったとの連絡があり、その身なりなどが事細かに書かれている。天童内喜の顔色が変わった。白洲に飛び降り、「ははぁ、水戸のご老公様でございましたか、ひらにお許しを」と土下座する。一恩もまた動揺している。光圀公は「昨夜の講釈は面白かったぞ」と笑顔で言い残し、綱村公の差し向けた駕籠で、青葉城へと向かうのであった。




参考口演:神田伊織

講談るうむ(http://koudanfan.web.fc2.com/index.html
inserted by FC2 system