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『宮本武蔵後日の仇討〜伊勢土産』あらすじ

(みやもとむさしごじつのあだうち〜いせみやげ)



【解説】
 江戸時代、伊勢への「抜け詣り」というのがあった。子供が親に内緒で伊勢まで無銭旅行をするのである。餅屋の倅の金之助も近所の子供らと共にこの抜け詣りをする。途中、岩渕で出会ったのが、小さな子供であった。父親と母親は何者かに殺され婆様と二人で暮らしていたが、その婆様に死なれ一人きりになってしまったという。金之助は気の毒だと思いこの子供を江戸まで連れていく。この子供、太吉は餅屋の仕事の手伝いをするが実によく働く。勉学でも優秀である。仕事の合間に剣術の道場を覗く。どうやら太吉は剣術に興味があるようだ。これからこの太吉が父母の仇を討つという話になるのだが、正体は何者か…。

【あらすじ】
 江戸時代、伊勢参りというと庶民の憧れであった。当時『抜け詣り』というのがあって、子供が両親や奉公先を黙って出て行って伊勢までお詣りをする、柄杓(ひしゃく)一本で道々で御貰いをしながら何十日も無銭旅行するというおおらかな時代であった。
 中橋広小路辺りの商人の子供、7〜8人が揃って伊勢参りに行こうという話になる。一番の年上が餅屋・金兵衛の倅の金之助で15歳、他の子どもたちは13〜14歳。銘々が店の金を持ち出して、着の身着のまま伊勢への旅に出る。
 伊勢からの帰りには金が無くなってくる。2両残った金も物乞いにパッパパッパと恵んでしまい、すっかり金は無くなる。こうして江戸へどんどん近づいてきて、岩渕の浜辺までやってくる。往き掛けにここを通ったとき、7歳くらいの男の子を連れた頭のおかしくなっている婆さんがいた。その婆さんに少し金を恵もうとすると、浜辺の粗末な小屋から「お婆さん、お婆さん」と幼い子供の泣く声がする。覗いてみると、例の婆さんが冷たくなって死んでしまっている。俺たちで弔いに出してやろうと、浜辺の砂地に埋めて回向する。ひとり残された子供は一緒に連れてってくれと言う。乞食の子供ではどうしようもないと思いつつも、次の宿場までいけばなんとかなるだろうと、この太吉という8歳の子供を連れて行く。問屋場でひとり残された太吉の世話をして欲しいと頼むが、こんな小さな子供では働かせようもないと次々と断られる。このまま江戸まで連れてって、小僧が欲しいと常々口にしていた父親の土産にしようと金之助は言う。一行は、柄杓をもって道行く人に「どうか報謝をしておくんなさい」と金を乞いながら江戸へと向かう。
 こうして子供らは江戸へ戻ってきた。父親がみると小さい真っ黒な子供がいる。この子を店の小僧として使うことする。太吉は乞食の子でありながら文字が読める。翌日、朝早くから起き出してクルクル良く働く。物覚えの早い子供で近所の者にもかわがられる。金之助が空いた時間に手習いに連れていくと、難しい事物まで分かるようになる。
 太吉は12歳になり、餅箱を担いで出商いにいくようになる。評判はよく、持って行った餅をたちまち売り切ってしまう。ある日、八丁堀の地蔵橋で、『新陰流二刀流指南 山口藤十郎』という看板がある。中にいた下男の者に餅を与え、庭の築山の陰からそっと剣術の稽古の様子を見る。稽古を終えて一休みする門弟らが次々と餅を買い求めに来る。師範代の増田一平が注意したが、うまい餅であるからと、これから山口先生には内緒で築山の陰に隠れて餅を売ることを許す。太吉は築山で餅を売りつつ、稽古の様子を見学する。  さて、この山口の道場では四季の大稽古というものがある。あまりに面白く、太吉は身を乗り出して稽古の様子を見る。山口先生はこの小僧に気付く。増田一平が事情を話し、太吉は正式に屋敷の中の茶の間で餅を売ることが出来るようになる。
 山口先生は、稽古の様子を見学している太吉を見て、これは只者ではないと気付く。太吉に聞くと剣術を学びたいというので、門弟の者たちに稽古を付けさせることにする。本当にこれが初めてかというような腕である。太吉は夢中で朝早くから、また商いが終わってから木剣をふるって稽古をする。
 さて、餅屋の金之助だが、太吉のおかげで店の中の用がどんどん片付くので、商いの方に身が入らない。夜通し遊んで朝、店に戻ってくると、太吉がいる。ばさっと倒れた太吉の身体を見ると青あざだらけである。事情を聞くと、岩渕で死に別れた婆様から、常日頃から「仇を討ってくれ」と言われていた。きっと父親と母親はどこかの誰かにやられてしまったんだ。これは仇を取らなければならないと思って剣術を稽古していると打ち明ける。金之助は餅屋の方は自分に任せて、稽古の方に身をいれろと言う。
 腕のある太吉は、山口先生直々に稽古を付けてもらうようになる。3年経って太吉15歳の時、山口先生が餅屋を訪れる。山口の道場を継ぐ者がいないので、太吉を養子に迎えたいと言う。店の金兵衛もこのまま餅屋をやってもたかが知れていると、この件を承知する。山口先生はこれまでの養育料として30両の金を餅屋納めた。こうして太吉は山口道場へ引き取られた。
 しばらくして師範代の増田が訪ねて来て、この度の祝いの宴を催すのに、赤飯が1000人前要るという。これを頼まれた餅屋は大忙しである。金之助も職人たちに交じって働き、翌朝には1000人前の赤飯をしつらえた。
 金兵衛・金之助親子は赤飯を山口道場の台所に納めるが、そのついでに太吉の様子を見る。大髻(おおたぶさ)を結った立派な侍こそ、太吉である。いまや免許皆伝の腕前、山口藤之丞と名を変えている。
 さて、この太吉は何者であるのか。太吉の親というのは、剣豪・宮本武蔵の倅で才助という男。岩渕の浜で夫婦もろとも討たれてしまった。これから太吉改め山口藤之丞は祖父の宮本武蔵と対面をし、両親の仇を取るという話になる。




参考口演:田辺いちか

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