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『名月若松城』あらすじ

(めいげつわかまつじょう)



【解説】
 天正15年、豊臣秀吉の九州平定で加藤清正、蒲生氏郷らは豊前国・岩石城を攻めるが、なかなか城は落ちない。気の短い氏郷は自ら城内へ進み入ろうとするが、敵の鉄砲の弾が馬に当って落馬し、絶体絶命のピンチである。これを救ったのが豪傑の名が高い西村権四郎であった。氏郷は伊勢・松坂三十万石の大名になるが、権四郎には何の恩賞も与えない。翌年、月見の宴で氏郷は岩石城での戦いの思い出話をするが自分の手柄を語るばかりで権四郎に助けられた事を認めない。権四郎は怒り、氏郷と言い争いになる。氏郷の提案で相撲で決着を付けることになった…。

【あらすじ】
 天下統一までもう一歩と迫った豊臣秀吉。敵として島津がこのまま大きくなると脅威である。天正十五年、九州征伐で豊前国・岩石城(がんじゃくじょう)を攻略する。大手からは加藤清正、搦手(からめて)からは蒲生氏郷(がもううじさと)が攻め立てるが三日四日経ってもどうしても城は落ちない。気の短い氏郷は自ら城へと進み込むが敵の鉄砲の弾が乗っていた馬に当たり落馬。搦手の門から出てきた島津の軍勢に取り囲まれさすがの氏郷ももはやこれまでかと覚悟を決める。その時一方を切り開いてやってきたのが豪傑と聞こえる西村権四郎。乗って来た馬で氏郷を脱出させ、自身は勇猛果敢に寄せ来る敵兵を討ち倒す。秀吉方は態勢を整え直し、こうして岩石城は落城した。氏郷は伊勢松阪三十万石の城主となる。ところが自分を助けてくれ一番の働きをした権四郎には何も恩賞を与えない。
 一年経って八月十五日、月見の宴・無礼講の席で氏郷は、岩石城での戦いの思い出話をするが自分の手柄を語るばかりで権四郎に助けられた事を認めない。権四郎は怒り、氏郷と言い争いになる。氏郷の提案で相撲で決着を付けることになり、氏郷が負ければ助けられたと認める、勝てば認めずさらに権四郎に腹を切るようにと言う。権四郎は圧倒的強さで相撲に勝つ。氏郷は主君を投げ飛ばす非道な奴と怒るが周りの者たちになだめられて奥の部屋へ押し込まれてしまう。権四郎は殿様の愚かさを嘆き、こんな人のために命を投げうつのは馬鹿らしいと勝手に松阪の城を出て行ってしまう。
 翌朝、心の落ち着いた氏郷は権四郎を主君を諫めてくれる良い家来であると思っていた。権四郎を誉めようとするが、昨夜城から逐電したと聞かされる。四方八方手を尽くして権四郎を探すが見つけることは出来なかった。
 氏郷は会津九十二万石へ移封となり若松城の城主となった。八月十五日、中秋の名月の日。その日の昼、ヨレヨレの姿の西村権四郎が現れ、もう一度氏郷の元で奉公したいと頼みこむ。再会を果たし氏郷も大喜びである。酒宴の席で氏郷はすっかり酔う。相撲に負けてしまったのが悔しくてその日以来稽古に力を入れてきた、今もう一度権四郎と相撲を取れば自分が必ず勝つと言う。権四郎も受けて立つ。すっかり痩せてしまった権四郎だがやはりまだ彼の方が強く、氏郷を投げ飛ばしてしまった。主人におべっかを使う野郎とそしりを受けたくなく、わざと負けるような真似はしなかった、主人を投げ飛ばした自分は腹を切ると権四郎は言う。氏郷はこれを止める。あまりに痩せてしまったので心持ちまで痩せてしまったかと思ってわざと酔ったふりをして相撲を取らせたが、主人にへつらったりはしなかったと権四郎を誉めた。今夜の月のように美しい心持ちの持ち主が戻ってきたことを喜びながら、主従長く盃を傾けた。




参考口演:宝井琴調

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