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『屏風の蘇生』あらすじ

(びょうぶのそせい)



【解説】
 寄席などで短く演じられる読み物である。また「柳沢昇進録〜浅妻舟(英一蝶 干物便り)」の前段で、多賀朝湖(のちの英一蝶)と宝井其角のエピソードとして語られることが多い。

【あらすじ】
 一代で百万両の身代を築いたというのが紀伊国屋文左衛門である。毎日文人・墨客といった取り巻き連中を引き連れて吉原へと通う。今日も、絵師の多賀朝湖(たがちょうこ)、俳人の宝井其角(たからいきかく)、書家の佐々木文山(ぶんざん)と同道して、仲之町の泉屋半四郎という馴染みの引手茶屋にあがる。芸者や太鼓持ちをあげてドンチャンと陽気に騒ぐ。
 主人の泉屋半四郎が部屋に入り、文左衛門の元に挨拶にくる。「毎度のご贔屓で有難うございます」。泉屋は文左衛門を通して、文山に頼みごとをする。新しく誂えた一双の金屏風に、多賀朝湖が見事な春山夜桜(しゅんざんよざくら)の極彩色の絵を描いてくださった、家宝にしようと思うのだが、この金屏風に文山にも一筆認めて欲しいと言う。「お大尽のお口添えですから」と文山は承知し、明日、その金屏風を芝の自分の家まで持ち込んで欲しいと言う。これに対して泉屋は、せっかく今日ここにいらっしゃって頂いているので、今ここで書いてもらえないかと請う。文山は酒がかなり廻ってしまっているので、やはり明日酒の気が抜けてから自宅で書きたいと答える。泉屋は吉原から芝に運ぶには手間が掛かる、「多賀朝湖先生で“すら”ここまで足を運んでもらいお描き頂いたので、文山先生にもそうして貰いたいのですが」と重ねて請う。この「多賀朝湖先生で“すら”」の「すら」が、文山には面白くなかった。自分が多賀朝湖よりも下に見られていると思ったのだ。
 それだったら望み通りここで一筆書いて、一泡吹かせてやろう。文山が筆を取って金屏風に書いたのが「此(この)所 小便無用」という文字であった。一同の者が驚く。泉屋は顔色が変わり「ひどい事なさって」と嘆く。この様子を見ていた紀伊国屋文左衛門は「しょうがないなァ、自分が金を出してまだ金屏風を誂えてもらうしかないか」と考える。
 ここで宝井其角が立ち上がる。「私が直して進ぜましょう」と言って、筆を取り上げる。文山の書いた六文字の下に「花の山」と書き加えた。「此所 小便無用 花の山」、立派な俳諧になった。こうして、いったん駄目になりかかった屏風が見事に蘇生したというお話。




参考口演:神田松鯉

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