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『荒木又右衛門〜奉書試合』あらすじ

(あらきまたえもん〜ほうしょじあい)



【解説】
 荒木又右衛門は牛込・神楽坂に剣術の道場を出すが、その看板には「柳生真流指南」と掲げてある。もちろん柳生飛騨守様には無断でのことであろう。口さがない江戸っ子たちは、「今にこれは大きな事件になるぞ」と噂しあう。この看板の一件が柳生飛騨守の耳にも入り、荒木又右衛門を木挽町の道場に呼び出す。又右衛門の態度に怒った飛騨守と試合をすることになる。

【あらすじ】
 牛込・神楽坂に小さな剣術の道場を開いた荒木又右衛門。道場の表看板には「柳生真流指南」と掲げてある。この看板を見て人々はよく柳生様からお叱りを受けないなと口々に言う。一人の男がさも物知り顔で言う。実は荒木又右衛門は柳生飛騨守様の先生なのだ。飛騨守様は柳生但馬守様の三男で、その昔は又十郎という名であった。若い頃に道楽が過ぎて父親から勘当され、一念発起し飛騨高山へと向かう。ここで天狗から手ほどきを受けるが、この天狗こそが荒木又右衛門なのだ。稽古を積んで江戸に戻り、父親の但馬守と勝負をしてこれを破って勘当が許される。荒木先生にはお礼で仕送りの金を贈っていたのだが、そのうちにズボラになってこれが断ってしまった。怒った荒木又右衛門先生は江戸へ出てきて道場を開き「柳生真流」の看板を出したのだ。こんな勝手なことを世間では噂しあう。
 柳生飛騨守の方ではさして問題にしなかったが、門弟たちがこのことを話題にあげるようになり、黙っていられなくなった。門弟の大道寺平馬という者を荒木又右衛門の元に遣いに出す。平馬は看板のことについて伺いたいことがあるので、明日辰の上刻に木挽町の柳生の道場まで来てもらいたいと告げる。これには謎がかかっていた。看板を新陰流とか一刀流とかに替えればわざわざ出向く必要はない。しかし荒木又右衛門はそれに気づかない。さりげなく伝える方法はないか。平馬は考えた上、荒木道場の差配人である豆腐屋の六右衛門に表看板の名さえ変えれば咎めはしないということを告げる。六右衛門は遠回しに荒木又右衛門に話そうと思い、何人かで道場を訪れる。六右衛門は例えで薪屋の娘が火付けをした話をする。幸いにボヤで済んだが奉行が取り調べをする。「この娘は十七(じゅうしち)です」「十四(じゅうし)であるか、それならば子供であるので咎めはしない」、こうして娘は罪に問われることはなかった。お上にも慈悲があるものだ。これを聞いても荒木又右衛門には分からない。たまりかねた六右衛門は表看板の話をするが、かえって又右衛門は怒ってしまう。
 翌日、荒木又右衛門は木挽町の柳生道場を訪れる。柳生飛騨守はまさか来るとは思っていなかった。奥の一室に通されると、刀を預け身に付けている物を調べられる。道場に入ると錠が降ろされた。そこへ飛騨守が姿を現す。飛騨守の兄、柳生十兵衛三厳(みつよし)先生とは大和国・正木坂で別れたが、そっくりである。飛騨守は「柳生の名を使うのはどこで許しを得たか」と問う。荒木又右衛門は亡き十兵衛三厳先生でありますと答える。「ならば免許状は本日持参はいたしたか」とさらに問う。又右衛門は、大坂で道場を開いていた際に隣家から出火し焼失してしまったと答える。
 飛騨守は「浪人の分際で柳生流を名乗るとは言語道断である」と言って、刀で斬りかかる。これを荒木又右衛門はヒラリヒラリとかわすが、何しろ刀がない。床の間にあった巻き奉書を手にしてしばらく応戦するが白刃にかなう訳もない。そのうちに道場の一番後ろへと追い込まれる。飛騨守が真っ向から頭の上に振り下ろす刀。又右衛門はこれを両手で挟んで受け止める。飛騨守は身動きが取れなくなる。これこそが十兵衛三厳先生が考案した「真剣白刃取り」である。これは疑いもなく、兄の十兵衛三厳から伝授を受けた者である。飛騨守は深々と頭を下げる。道場には錠が掛かり閉め切りであったのでこの様子は誰も見ていなかったはずなのだが、なぜか後々講釈師がこの話をしだすようになったという。




参考口演:神田松鯉、神田松麻呂

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