『講談るうむ』トップページへ戻る講談あらすじメニューページへ メールはこちら |


『日蓮と加藤清正』あらすじ

(にちれんとかとうきよまさ)



【解説】
 二代目神田松鯉の放送音源が残っており、それを元にあらすじを書き起こした。戦国時代の武将、加藤清正といえば篤い日蓮宗(法華宗)の信者として有名だが、その清正が帰依するようになるきっかけの話。
 戦国時代の話、秀吉の言い付けで加藤清正は京の町を警護する。本圀寺(ほんこくじ)という寺で日京(にっけい)という僧侶が信者の前で、日蓮上人の「龍ノ口の御法難」の説教をしている。刑場で上人の首が斬られるというときに刀が3つに折れたとのこと。これを聞いた清正はそんなことがあるはずはないと難癖をつける…。

【あらすじ】
 戦国時代のこと、天子様が京にいらっしゃった。天子様を守護しているのが、大和国の松永弾正久秀(まつながだんじょうひさひで)である。どうもこの松永弾正が天子様に不敬を働く。そこで織田信長に沙汰があり、家来の羽柴秀吉ら大勢を連れて京に上り、松永弾正と戦う。松永弾正は信長の軍に敗北し、とてもここにはいられないと、大和国・信貴山(しぎさん)へと逃げる。そのあと信長と秀吉は相談し、京の町の治安維持のために所司代屋敷を拵える。しかし一旦逃げたはずの松永弾正の家来が、京洛中まで戻って来て乱暴狼藉を働く。そこで京の人々は所司代屋敷にやってきて訴える。秀吉は家来の加藤清正に言い付け、市中を巡回をさせる。だんだんと悪いことをする者はいなくなり京の人々はたいそう喜ぶ。
 ある日、加藤清正は大勢の家来を連れて、三条通りの松原というところに通り掛かる。法華十六本山のひとつ、本圀寺(ほんこくじ)の前まで来ると、寺のなかから何やら声が聞こえる。清正が入ると本圀寺の日京(にちけい)上人がお説教をしており、法華信者はこれに聞き入っている。常に戦ばかりの清正は説教など聞いたことのない。どんなことを話しているのか聞き耳を立てる。高祖日蓮大上人の「龍ノ口の御法難」の話であり、上人の首を斬ろうとすると、首切り役人の持っていた刀が3つに折れたという内容である。法華信者はありがたい話だと、「南無妙法蓮華経」と唱える。清正は何を思ったが、「やいやい坊主、しばらくの間説教をやめろ」と大声をあげる。清正は「日蓮という坊主の首を斬ろうとしたら、持っていた刀が折れた、そんなことがあるはずは無い。本来なら法華という宗旨を潰してしまうところだが、今回は特別に許してやるから今の説教をやりなおせ」という。「どういうふうにやり直せばよいので」、日京が問うと「日蓮は龍ノ口の刑場で首を斬られてしまったとやり直せ」と清正は怒鳴る。「どんな事があっても左様な説教は出来ません」、日京は言葉を返す。
 正面には厨子があり、日蓮上人が一番かわいがっていた弟子、日朗が彫った上人の木像がある。左手には立正安国論の巻物、右手には笏(しゃく)を持っている。清正はこの日蓮上人の木像の右腕を付け根からボキンと折る。首が斬られるという時に刀が3段に折れたというほどである。ここまですれば自分にも罰(ばち)が当たるだろう。7日間待つので、その間に不思議な事が何か起これば自分のことはどうにでもしろ、その代わり何事もなければこの寺に火を掛け、法華の宗旨を潰し、僧侶や信者はみな遠島にしてしまう、こう言って、細工が出来ないように厨子には封印をし、清正は家来を引き連れて帰っていく。
 7日経っても不思議なことはない。八日目、清正は家来を連れて本圀寺へ赴く。日京は食を断ち、加藤清正に罰(ばち)を加えて頂きたいと「南無妙法蓮華経」と何度も唱える。「坊主、約束だぞ。寺に火をつけて法華の宗旨を潰してしまうぞ」。厨子の前まで歩み寄り、封を解く。厨子の扉を開けて驚いた。木像の玉目がギョロギョロと動いて清正を睨む。清正は思わず尻餅をつく。木像の右腕は元の通りになっている。継いだ跡もない。だがなぜか笏だけは下に落ちたままである。
 ああ、俺は負けた。清正は日京上人の前まで来て、「さあ、俺の命を取ってくれ」と言う。しかし「出家は五戒で保つ」と言われる通り、僧侶は虫けら一匹殺すことは出来ない。「法華信者になったらいかがです」。こう言われて清正公は改心をする。これから一日の間に「南無妙法蓮華経」という題目を3万遍も唱えたという。清正は生涯の間に71回の戦をしたが、一遍も負けなかった。また、今でも京都の本圀寺へ行くと、「笏投げのご本尊」といってこの木像が残っているという。




参考口演:二代目神田松鯉

講談るうむ(http://koudanfan.web.fc2.com/index.html
inserted by FC2 system