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『眠り猫』あらすじ

(ねむりねこ)



【解説】
 左甚五郎作とされる日光東照宮の「眠り猫」はあまりに有名だが、そのモデルとなった猫を甚五郎が描いた際の話。
 江戸・浅草に住んでいた甚五郎だが、母親が病気と聞き、故郷の飛騨高山へと向かう。その途中、重いお地蔵様を背負わされたり、お婆さんの死骸とダンスさせられたりする。甚五郎を化かしていたのは、人間に悪さをする「カラス猫」であった…。

【あらすじ】
 飛騨高山でみっちり修行をした左甚五郎だが、ある日「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」という言葉もある、自分もいつまで高山にいても仕方がない、江戸にでも行って修行をし直してみようと思い立つ。
 こうして東海道を下り、浅草諏訪町の宮大工、政五郎の元に住み込み、ここで働く。政五郎の家ではこんな話がある。甚五郎の削った板を家の前を流れる小川に投げ込む、それを拾い上げて2枚の板をピタッと合わせる。その板はどんなに力を入れても剥がせない。甚五郎の削った板には一厘一毛の隙間もないから剥がれないのだ、一同の者は感心し、それから甚五郎のことを兄貴と呼ぶようになった。
 ある時甚五郎は浅草の入船町に住んでいた。すると国許から故郷の母親が病気だという手紙が届く。甚五郎はすぐに旅支度をし、中山道の板橋宿から飛騨へと向かう。上尾と桶川の間に、高山へ抜ける近道があり、この道を進む。午後4時頃、途中山野というところまで来た。「ここから亀崎まではどのくらいある」、甚五郎は茶屋のオヤジに尋ねる。オヤジは2里ほどあると答える。この先亀崎までは「引導ヶ原」と呼ばれ、ここに妙な者が出て旅のものをたぶらかすと言う。
 茶店を出て、引導ヶ原に差し掛かると、日はとっぷりと暮れている。草が胸の辺りまで生い茂り、どこが道なのか皆目見当が付かない。すると「ンー、ンー」といううめき声がする。見ると年の頃なら17〜18歳の娘さんが苦しがっている。その娘を12〜13歳の小娘が必死に介抱している。姉が癪(しゃく)を起して困っているという。甚五郎は持参していた薬を与え、背中などをさすっているといい塩梅に痛みは去ったという。「お前たち、どこまで行くんだ」「はい、亀崎新田まで参ります」、それならばと甚五郎は姉娘を負ぶり歩き出すが、この娘が妙に重い。小娘に道案内を頼むが、その小娘はどんどんどんどん進んでいく。そのうちに見失ってしまった。どう行けば良いか分からない甚五郎。そのうちに背中がズシリと重くなる。振り返ってみると負ぶっているのはお地蔵様である。先ほど茶屋のオヤジが妙な者が出ますといったのはこのことか。
 気が付いてみると、ボウボウと生えていた草むらに一本道がズッーと貫いている。これは化かされたのか、冗談じゃない、ブツブツ言いながら歩いていくと、彼方に灯りが見える。あそこに泊めてもらおう。家までと辿り着くと、一人の老人が出て来てた。一晩泊めて貰いたいと乞い、先ほどの引導ヶ原でのことを話すと、それは狐だという。老人は今日婆様が死んでしまい、屏風の向こうに寝かせているという。それでも良かったら泊まってくれと言い、甚五郎も承知する。さらに老人は婆様の死を親戚に知らさなければならないので一人留守番してくれと頼み、甚五郎はこれも承知する。
 老人は出かけていった。早く帰ってきて欲しいと思う甚五郎だが、いつまで経っても戻ってこない。ふと気が付いてみると、立ててあった屏風がいきなりバタッと倒れる。寝かせてあったお婆さんがひょいっと立ち上がり、ピョン、ピョン、と飛んできて甚五郎の方に近づく。「婆さん、生き返ったのか」、お婆さんは外に出ていく。甚五郎はお婆さんを押さえ引き戻そうとするが、そのお婆さんの力の強いこと。そこへ戻って来たのが、親戚を引き連れた老人であった。「世の中にはずいぶんと物好きな方もいるものだ、仏さまとダンスをしているとは」「ダンスをしてるんじゃない、手伝っておくれ」「それじゃ、あの猫の野郎、また来てやがるんだな」、柳の木の下に小犬ほどの大きさのあるカラス猫がおり、しきりに手招きをしている。「とんでもない畜生だ」、小石を投げると、ギャッと叫んで猫は草むらの中に姿を消す。と同時にお婆さんの力がスッと抜け、甚五郎と一緒に倒れ込む。
 元の通り、屏風を立てお婆さんを寝かせると、甚五郎は「さっきの狐といい、今回のカラス猫といい、この付近には悪さをするものが沢山でるのでしょうか」と尋ねると、老人は「狸やイタチ、コアラやパンダも出て来る」と答える。その中でもカラス猫が親玉だという。どこにすんでいるかと尋ねると、この近くに高照寺という荒れ寺があり、そこに洞穴があって、カラス猫がほかの動物にエサを食わせているという。甚五郎はそこに連れて行って欲しいと言う。
 夜が更けて八ツ、現在の午前2時に、オヤジの平助、隣の家の佐兵衛、甚五郎の三名が家を出て、高照寺へと向かう。本堂前に竹薮があってその脇に大きな洞穴がある。その洞穴の中には、数多くの猫がいる。三毛猫、キジ猫、マダラ猫、白猫、黒猫、ペルシャ猫、正面には先ほどのカラス猫が胡坐をかいて腕まくりをしている。このカラス猫の様子を傍らからジッと見つめていた甚五郎は、矢立を取り出して猫の姿をスラスラと写す。
 後年、徳川3代将軍・家光公の命により、日光東照宮にかの有名な眠り猫を彫り上げるが、その猫の元はこの時のカラス猫であった、という説もある。甚五郎は飛騨高山へと向かうと、思いのほか母親の病気は重かった。甚五郎は長い間一人にしたことを詫び、真心こめて看病した結果、母親の病気は全快、手に手を取って喜びあうのであった。




参考口演:八代目一龍斎貞山

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