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『楢柴茶入』あらすじ

(ならしばちゃいれ)



【解説】
 戦国時代の話、天下の名器「楢柴の茶入」をめぐって戦国大名をはじめ様々な人々が翻弄され振り回される様を描く。「楢柴の茶入」を、博多の茶坊主、島井宗室(そうしつ)は所持している。なんとかこの天下の名器を手に入れようと、諸大名は様々に画策するがどうにも入手できない。秋月藩の家臣、恵利内蔵助は藩の方針に反し、秀吉の陣門に降るべきだと思っている。その内蔵助が窃盗同然の手口でこの楢柴の茶入を手に入れる…。

【あらすじ】
 戦国時代の話。島井徳太夫宗室(そうしつ)は博多の商人で茶坊主。海外との貿易で巨万の富を得て、西国の各大名から一目置かれる人物である。彼が所有しているのが、楢柴(ならしば)の茶入という天下の名器である。
 ある日、織田信長から京の本能寺へ招かれる。持参した楢柴の茶入を見せると、「さすがは天下の名器」と信長も感心する。その夜に起こったのが本能寺の変である。寺は明智の軍勢に取り囲まれている。宗室は楢柴の茶入、そして寺にあった弘法大師真筆の掛け軸をもって逃げ出そうとする。取り囲む軍勢の中にいたのが、馬に乗った明智左馬之助である。宗室と左馬之助は旧知の仲であった。「早くお逃げなされ」。左馬之助の計らいで、宗室は無事に本能寺から脱出することが出来た。楢柴の茶入とともに、弘法大師の掛け軸を救ったことで宗室の名はますます上がる。
 西国の大名、大友宗麟(そうりん)はなんとしてもこの楢柴の茶入が欲しい。家来を宗室の元に送り、「どうぞお譲りください。譲って頂けるのなら筑前半国を差し上げます」と懇願する。しかし宗室は「この器は武士が持つ物ではなく、町人が持つべきだ」といって譲らない。家来から報告を受けた大友宗麟は「あの頑固者めが」と言って憤る。
 次に秋月藩の秋月長門守種実(たねざね)が、楢柴の茶入を「ぜひお譲り下さい」というが、宗室はもちろんこれを拒む。種実は「弓矢をもっても頂く」と言うが宗室は「取れるものなら取ってみろ」と言葉を返す。
 そのころ豊臣秀吉は島津を滅ぼそうと九州を狙っていた。九州へ行けば楢柴の茶入が見られる、と秀吉は楽しみにしている。
 秋月種実は島津と組んで、大友を攻めていた。種実の家来である恵利内蔵助(えりくらのすけ)は広島に滞在していた秀吉と面会し、これはとても叶わぬ相手だ、敵にしては秋月の家は潰れてしまう、なんとしても彼のご機嫌を取らなければならないと思う。秀吉は楢柴の茶入について話す。なにを思ったか、恵利内蔵助は「その茶入は今、秋月の家にある」と言ってしまう。秀吉は、九州に乗り込んだ際に是非みたいものだと言う。
 広島からの帰り、恵利内蔵助は博多の宗室の元を訪問する。秋月の家中では豊臣主戦論が多いが、自分は秀吉の支配下に入るべきだと思う、主君には命を懸けて我が意見を述べるつもりであると語る。そして宗室にこの世の別れにぜひ楢柴の茶入が見たいと言う。感心した宗室は茶入を差し出し、恵利内蔵助はこれを手に取る。彼が去ったあと、楢柴の茶入も消えたことに宗室は気づく。恵利内蔵助のいた場所には手紙が置いてあり、「男の意地、武士の意地で茶入を頂く」と書いてある。宗室は楢柴の茶入を収納してあった箱に庭の落ち葉を入れ火を付ける。周りの者が驚いた。楢柴の茶入が燃えてしまう、宗室は気が狂ったかと騒ぐ。
 楢柴の茶入を持って秋月に戻った恵利内蔵助。種実に秀吉の軍門に下るべきだと意見を述べる。対立する家臣たちは怒り「秀吉に金でも貰ったか、腹を切れ」と恵利内蔵助に迫る。命を懸けて諫言した恵利内蔵助は腹をかっさばいた。その後、秀吉の軍勢は九州に攻め入り、難攻の岩石城を落す。秋月の城も危ない。そこで恵利内蔵助の家人が、「どうぞこれをお受け取り下さい」と楢柴の茶入と内蔵助が遺した手紙を種実に差し出す。手紙には内蔵助によって事のすべてを記されてある。種実は「恵利内蔵助こそ誠の忠臣であった」と感涙する。
 恵利内蔵助の命を懸けた訴えを聞き届けて種実は秀吉の軍門に下ることになる。秀吉には楢柴の茶入を差し出した。秀吉もそれならば許そうと言う。こうして秋月の家は救われ、やがて秀吉と島津も和睦する。
 九州を手中にした秀吉が茶会を開く。そこには宗室と秋月種実も招かれる。秀吉は種実に「どうやって楢柴の茶入を手に入れたのか」と尋ねる。種実は恵利内蔵助が遺した手紙で彼が盗んだ物であることを知っていた。秀吉の小姓が楢柴の茶入を茶室に持ってきた。種実は秀吉と宗室を前に震えている。秀吉は宗室に「これに見覚えはあるか」と言う。宗室は自分も楢柴の茶入を持っていたがそれとは違う物だ、こちらの方が上物であると言う。そして自分の持っていた楢柴の茶入は燃えてしまったと語る。もちろん秀吉は宗室の心の内を見抜いていた。秋月から貰った楢柴の茶入こそ天下一品、唯一の物であると秀吉は言う。種実はホッとして、命を懸けた忠臣、恵利内蔵助を思い出して涙するのであった。
 恵利内蔵助が腹を切った場所は、「腹切岩」と呼ばれている。また近くには彼の功績を讃える碑や観音堂がある。楢柴の茶入は「天下三肩衝(かたつき)」「三茶器」のひとつと称されるのであった。




参考口演:神田真紅

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