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『中村仲蔵』あらすじ

(なかむらなかぞう)


【解説】
 講談のほか落語でもあまりに良く知られた歌舞伎役者の立志伝。悔しさをバネに工夫を重ね名を上げ出世していくという名人伝の読物である。もちろん初代中村仲蔵は実在の人物で、1736(元文元)年の生まれで1790(寛政2)年に没している。斧定九郎を現在の姿で演じて大きな評判となったことや、妻が長唄の杵屋喜三郎の娘でお岸というのもほぼ史実だと思われる。中村仲蔵は名門の出ではないが演技や器量に優れ、努力の末に「名題」にまで出世する。しかし四代目団十郎がよく仲蔵の面倒を見ることを理由に座付きの作者から憎まれ、『仮名手本忠臣蔵』で振られたのは斧定九郎という山賊のような恰好をした役であった。そこで仲蔵は客をあっと言わせるような定九郎を演じようと思案する。

【あらすじ】
 八代将軍・吉宗の時代は絢爛豪華な歌舞伎という芸能が花開いた時期である。元文5年11月の半ばのこと。江戸は泉町に住む長唄の太夫、中山小十郎の女房であるお俊は、江戸から二里半東に行った平井村の聖天様へ月詣りしている。この月も参詣してその帰り道、平井の渡しで船頭から話しかけられる。お俊は子どもを授かりたく毎月願掛けをしに来ていると話す。船頭は自分には欲しくもないのに5人もの子供がいる、また船の中にいるのは妹の子で、昨年流行り病で両親が相次いで亡くなってしまい、自分が引き取ってこうやって養っていると語る。見るとその子は四・五歳で目鼻立ちの整った可愛い男の子である。家へ帰ったお俊が小十郎に相談すると、「これは聖天様のご利益だろう」と喜んでその男の子を貰い受けることにする。
 中山小十郎は中村座の座付きの太夫であった。男の子には六歳から長唄を仕込むが、どうやらこの子には役者の才がある。十三歳の時に中村伝九郎という役者の元に弟子入りさせた。中村仲蔵の名を貰って、芸道に精進しメキメキとその腕を上げる。その頃の役者には六段階の身分があった。一番下が『稲荷町(いなりまち)』。その上が『中通り(ちゅうどおり)』、『相中(あいちゅう)』、『上分(かみぶん)』、『名題下(なだいした)』、そして一番上が『名題』。仲蔵は相中に昇進するが、彼に目を付けたのが三味線の杵屋喜三郎。自分の娘、お岸と夫婦にして何かと世話を見る。また、四代目の団十郎も大変にこの仲蔵に目を掛けている。
 明和2年、仲蔵は名題に出世する。団十郎は相変わらず仲蔵の面倒を見るが、これが面白くなかったのが座付き作者の金井三笑(かないさんしょう)。仲蔵に嫌な役ばかりを振り当てる。
 明和4年、5月の公演が『仮名手本忠臣蔵』になった。仲蔵に振り当てられた役が、五段目・山崎街道の斧定九郎(おのさだくろう)、ただ一役であった。当時の定九郎は山賊の格好で演じられ、役は悪くないが拵えや着付けが悪く、注目されるような役ではなかった。この頃、「判官切腹」という大きな見せ場のある四段目は「出物止め」と呼ばれ、客席へ料理を運ぶのが許されなかった。比して五段目は「弁当幕」といわれ、多くの客は客席ではムシャムシャ食事をする時間だった。その五段目で斧定九郎一役しか与えられない、もちろんこれは三笑の嫌がらせであろう。ならば、客をあっといわせるような、これまでになかった定九郎を演じてやろう、仲蔵はこう考える。まずはなにより定九郎の着付けが良くない。なにかいい考えが浮かばないか、柳島の妙見様に日参をして十日目の事。お詣りを済ませたのち大粒の雨が降り出し、法恩寺のあたりではザッーと激しい雨になる。近くの蕎麦屋に駆け込み、蕎麦を注文する。そこへ飛び込んできた二十八,九歳の武士。色は白い痩せ型の男。伸びた月代(さかやき)からはしずくが垂れる。服は黒羽二重で尻をはしょる。朱鞘の大小に茶博多の帯。その帯には福草履を挟む。破れた蛇の目の傘を半開きにして入って来た。傘をすぼみさっと水を切ってニヤリと笑ったが、その姿がなんともいい色気がある。これを見ていい姿だなあ、この格好ならいい定九郎が出来るに違いない、仲蔵は思いつく。店を飛び出し妙見様にお礼参りをし、浅草富川町で古着を買い求める。太夫や鳴り物師には他言はしないよう頼んでおく。
 明日の初日の前の晩、仲蔵は女房のお岸に、今度の定九郎の役がお客に受け入れられなかったらしばらく江戸を離れるつもりであることを打ち明ける。これに対し、明日の舞台は心のままにお勤めくださいと言うのであった。
 初日、大序から始まっていよいよ五段目の幕が開く。しばらくして花道を半開きにした傘を手にした仲蔵演じる定九郎が現われる。今までの定九郎とのあまりの違いに客席はシーンと静まり返る。掛け声のひとつでも掛かると思っていた仲蔵は、これはやり損なったかと勘違いする。幕がしまって客はどよめきの声をあげる。これを楽屋で聞いた仲蔵は、お客はあんなに怒っているのかとやはり勘違いする。これは江戸を離れるしかないと思っていたところで、師匠の中村伝九郎が飛び込んでくる。「いい定九郎を見せてくれたなぁ。あの定九郎の型は末世まで残るに違いない。お前は芝居の神様だ」。涙を流して喜ぶ。
 この後、仲蔵の名声はますます高まる。安永9年には中村座の座頭に出世し、寛政2年に57歳で亡くなる。稀代の名優として今に名を残す中村仲蔵の一席。




参考口演:一龍斎貞心

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