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『谷風七善根〜出羽屋幸吉』あらすじ

(たにかぜしちぜんこん〜でわやこうきち)



【解説】
 谷風梶之助(1750〜1795)陸奥国宮城郡(現・仙台市)出身の力士。1768年に力士になり、1789(寛政元)年に第一号の横綱になる。相撲の強さだけではなく人格も優れ、現在でも横綱の見本とされる。
 本所一ツ目にある出羽屋幸吉という米屋。幸吉は父の跡を継ぐがどうしようもない道楽者で、母親には暴力をふるう。ある時、近所の者たちが横綱の谷風を褒め称えていると、幸吉はその谷風に目の前で頭を下げさせると豪語する…。

【あらすじ】
相撲の一番の黄金期と言えば寛政年間だが、その中でも代表する力士と言えば「谷風梶之助」である。奥州白石で百姓の倅として生まれる。子供のころからの力持ちで、12歳の時には米俵2俵、120キログラムを軽々と持ち上げてしまったと言う。
 江戸へ出て力士になり、熱心に稽古をしてその腕をメキメキあげる。人柄も良く、師匠や同輩からも好かれる。負け知らずのままどんどん出世し、寛政元年には横綱になる。谷風には道楽がひとつあった。「助け道楽」、困っている人がいると手を差し伸べ手助けをするのである。
 この頃のこと、本所一ツ目に出羽屋幸吉という米屋があった。この幸吉は父親から跡を継ぐが、飲む、打つ、買うの三道楽。母親が意見をしようとすると乱暴を働くというどうしようもない男である。
 ある日、近所の連中5〜6人が出羽屋の前の腰掛に座り世間話をしている。「横綱の谷風は相撲は強いし人間も立派だ。あんな偉い人はいない。相撲界では谷風の前で誰も頭があがらない」、こんな話をしている。これを聞いた出羽屋幸吉。みんな意気地がないので頭があがらないのだ。自分だったら、谷風に両手を着いて頭を下げさせると言う。そんなこと出来ない、出来るで口論となる。近所の者6人は頭を下げさせることが出来たら皆そろって腹を切るという。一方、出羽屋幸吉はもし出来なかったらこの首をあげると言う。谷風は毎朝、この店の前を通る。その時に頭を下げさせると豪語する。
 翌朝、店の前では近所の者6人が控えている。俵3俵が杉なりになって、縄が結わい付けられている。やがて弟子3人を連れて谷風が歩いて来た。幸吉は声を掛け、「この米俵3俵を持ちあげられますか」と尋ねる。谷風は「このくらいならわけない」と答える。「持ち上げられなかったらどうしますか」と幸吉が問うと、「髷(まげ)を切って仙台に帰り百姓になります」と谷風は言う。
 谷風は下の俵2つに手を掛け持ち上げようとする。ウーンと力を入れるがビクともしない。もう一度ウーンと力を入れるがやはりまったく動かない。幸吉は「どうしましたか、諦めますか」とはやす。いつの間にか、辺りは黒山の人だかりである。谷風は弟子に「締め込み(まわし)を持ってこい」と言い付ける。締め込みを付けた谷風は、ズシン、ズシンと四股を踏む。米俵を持って全身の力を込める。すると足元の地面がズズズと動く。何か気づいたか、谷風は足の場所を変える。また持ち上げる。米俵は持ちあがる。俵には縄が結んであり、その先に丸太3本が括り付けられていた。谷風は米俵を横に放り出す。
 こんな仕掛けをしやがって、谷風は怒り心頭である。幸吉は「冗談ですよ」と笑ってごまかそうとする。「冗談じゃ済まない、その首をもらう」と言って谷風は幸吉の胸倉を掴む。近所の者たちは「こいつは何かというと母親に乱暴を働きます、やっつけてしまって下さい」と言う。ここで幸吉の母親が家から出て来た。「私が至らないばかりに勘弁してください、そのかわり頭を思いっきり引っ叩いてください」、こう言って泣く。谷風は「おふくろさんがそういうのなら勘弁してやる」と言う。「今度悪いことをしたら、いつでもここに駆け付けてお前の首を取る」、谷風は着物を着て去っていく。
 これから幸吉の素行は良くなり、人間も丸くなり、稼業にも励むようになる。幸吉は嫁を迎えることになり、婚礼には谷風も駆け付ける。この後、谷風と出羽屋幸吉は親類同様に付き合うようになったという。




参考口演:神田菫花

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