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『団十郎と馬の足』あらすじ

(だんじゅうろうとうまのあし)


【解説】
 明治時代のこと、武助(ぶすけ)という役者がいたが、左頬に大きな傷があって人間の役が付かず、動物の役ばかりを演じている。今月の芝居は『一ノ谷嫩軍記(いちのたのふたばぐんき)』だが、役はやはり馬の後ろ足である。そんな武助の望みは、舞台で掛け声を掛けられる姿を母親に見せること。そんな武助の望みを叶えてやろうと大家の伝兵衛は、長屋の連中を連れて歌舞伎座に行く…。
 落語では、この読物をより滑稽にした『武助馬』という話がある。

【あらすじ】
 明治時代の話。浅草・馬道に鈴木伝兵衛という親切な家主がいた。長屋を借り受けている者の中に武助(ぶすけ)という、左頬には大きな刀傷がある芝居役者がおり、今月は木挽町の歌舞伎座の出ているという。今月の芝居は『一ノ谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』で、九代目市川団十郎が熊谷次郎直実、五代目尾上菊五郎が平敦盛の役だ。その中で何の役をしているのか家主が武助に尋ねると権太栗毛(ごんたくりげ)という馬の後ろ足の役であると言う。武助が今までにやった役というと、『山崎街道』の猪、『葛の葉』の狐、『仙台萩』のネズミとまともな人間の役が無い。これも顔の傷ゆえに人様の役がつかないという。
 どうしてそんな傷が付いた家主が尋ねる。忘れもしない明治元年九月の晩 河原崎権之助という役者の寮に強盗が入り、権之助は斬り殺された。その時武助も顔を傷付けられたと言う。九代目団十郎に助けられ、今でもこうやって役者稼業をしていられる。そんな武助に望みがひとつある。立派な芸で「音羽屋」「成田屋」などと声の掛けられる役者になり、その姿を母親に見せたいという。感心した家主は長屋の連中、三十四名を家に集め、明日の芝居で、馬の後ろ足を褒めるよう言い付ける。
 翌日、家主、武助の母親、長屋の連中が木挽町の歌舞伎座にやってくる。団菊の顔合わせだというので、連日超満員である。熊谷次郎直実演じる団十郎が現われると観客から「成田屋」の声が掛かる。続いて家主が「待ってました、武助、馬の足」と声を掛ける。さらに長屋の連中も「待ってました、武助、馬の足」と声を掛ける。馬の前の足の役をしている武兵衛は可笑しくて仕方ないが、ぐっと笑いをこらえる。生まれて初めて声を掛けられてうれしい武助。母親は聴いてくださっているだろうか、そっと覗くと母親は喜びのあまり滂沱の涙を流している。嬉しくてしょうがない武助はピョンピョンと飛び跳ねる。後ろ足が跳ねるので、仕方なく前足もピョンピョンと跳ねる。見物は驚くが、九代目団十郎も驚く。危うく落馬しそうになるが、そこはやはり名優で手綱さばきも見事に堂々と舞台の中央に出る。家主は「待ってました武助、日本一馬の足、ここらで一遍、鳴いてごらん」という。武助はヒヒーンと鳴く。
 「肝心なところでふざけやがって」と楽屋で団十郎はカンカンになっている。後ろ足で鳴く馬がどこにいる。事情を聴き、そうだったのかと悟る団十郎。芸人というのは芸を誉められた時が一番うれしいもの。有頂天になったのも無理はない。母親をなんとか喜ばせようという心根があればこそ、お客様も可愛がってくれる。その了見をいつまでも忘れるな。団十郎は武助に日本一の馬の足という折り紙を付ける。団十郎と武助、うれし涙に暮れ、お互いに一生懸命やろうと誓うのであった。




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