『講談るうむ』トップページへ戻る講談あらすじメニューページへ メールはこちら |


『曽我物語〜曽我兄弟仇討本懐』あらすじ

(そがものがたり〜そがきょうだいあだうちほんかい)



【解説】
 曽我十郎祐成(すけなり)、曽我五郎時致(ときむね)の兄弟は幼少の時に、父親の河津祐康(かわづすけやす)を殺害される。兄弟は仇の工藤祐経(すけつね)を追い狙うが、なかなか仇討ちは叶わない。父が殺されて18年経った建久4(1193)年5月、源頼朝は富士の裾野に狩倉を催し、家臣の工藤祐経も同道する。5月28日の夜、いよいよ曽我兄弟が本懐を遂げる時が来た。畠山重忠(しげただ)や御所五郎丸(ごしょのごろうまる)などがこの仇討にそれとなく協力する…。「赤穂義士伝」「伊賀の水月」とともに、この「曽我物語」は「日本三大仇討」とされている。

【あらすじ】
 建久4年5月28日、源頼朝公は富士の裾野で狩倉(かりくら)を催した。この折に曽我十郎、五郎兄弟はなんとしても18年前に父親の河津祐康(かわづすけやす)を殺害した工藤祐経(すけつね)を仇討ちしたい。当夜の見張りの当番である御所五郎丸(ごしょのごろうまる)は工藤祐経の仮屋の場所を、曽我兄弟に教える。これこそ花も実もある志(こころざし)である。
 五月雨が激しく降る中、曽我兄弟は微塵丸(みじんまる)、友切丸(ともきります)の名刀を携え、工藤祐経の仮屋へと踏み込む。しかし中はもぬけの殻で工藤祐経の姿は見えない。いつの間にか寝所を変えたか。曽我兄弟は運の無さを嘆く。すると幕の中で手拍子を打ちながら「波に聞こえる沖津船、昼辺の山は此方(こなた)なり」と歌う者がいる。曽我兄弟が中を覗くと、そこにいたのは畠山重忠(しげただ)の郎党である半沢六郎である。「昼辺の山は此方なり」と言って、辰巳の方を指さす。半沢六郎はすっと姿を消す。工藤祐経の寝ている場所をそれとなく兄弟に教えたのだ。
 曽我兄弟は辰巳の方の雨戸口へと進み寄る。雨戸を押し開き杉戸を開く。そこには工藤祐経と神官の大藤内(おおとうない)がカッーと寝入っている。十郎は枕を蹴って工藤祐経を起こす。気が付くと阿吽(あうん)の仁王様のごとく曽我兄弟が突っ立ている。「さては曽我兄弟、何故なるぞ」、工藤祐経は驚く。十郎は声高く叫ぶ。「愚かよな祐経殿。今を去りぬる十八年、安元二年神無月、伊豆は奥野の狩りの帰るさに、所領の恨み止み方なく、我が父河津三郎を、近江そして八幡に申し付け、遠矢(とおや)に掛けて討ったるは、貴殿の業(わざ)にて候べし、五つや三つの頃よりも、艱難辛苦の功を積み、十八年の時を経て、曽我の十郎祐成(すけなり)」「弟、五郎時致(ときむね)」「今改めて勝負をせい、いざいざ立ち上がって尋常に勝負、勝負せえ」。
 工藤祐経はカンラカンラとうち笑い、河津祐康を殺害したのは俣野五郎の仕業だという。「支度をするのでお待ちくだされ」、工藤祐経は身支度をする。曽我兄弟は左右に分かれ待つ。工藤祐経は布団の下に隠してあった枕刀を取って、いきなり十郎に斬りかかる。十郎はヒラリと体をかわす。微塵丸の太刀でもって工藤祐経の左の肩からザクッと斬る。血煙が上がり、工藤祐経は倒れる。曽我五郎が止めを刺す。曽我兄弟が去ろうとすると、大藤内が「狼藉者」と大声で叫ぶ。十郎は縦に、五郎は横に斬り付け、大藤内の身体は4つに分かれる。続いて曽我兄弟は押し寄せる工藤祐経の家来たちを次々にザックザックと斬り付け、辺りは血の海である。
 この時、仁田四郎(にたんのしろう)は畠山重忠の陣中に招かれて、2人で酒を酌み交わしていた。そこへ重忠の家来の半沢六郎から「曽我兄弟、ただいま工藤祐経を討ち取りました」との連絡が入る。畠山重忠は満面の笑みを浮かべ、仁田四郎に「もう陣中に帰ってよかろう」と告げる。重忠は仁田四郎に曽我兄弟の仇討を阻まれないようにわざと酒に誘ったのであった。
 工藤祐経の陣屋へとやって来た仁田四郎には、曽我兄弟のために即死が97人、手負いが380人に及ぶとの報告が入る。これだけたくさんの御家人を殺めてはもう曽我兄弟は許されまい。仁田四郎と曽我十郎の勝負になる。仁田四郎の薙刀は風車のようである。十郎の微塵丸はポキンと折れる。薙刀が十郎の腿から下腹にかけて突っ込む。十郎はドウと倒れる。十郎の首は斬られる。
 次は弟の五郎である。すると五郎の身体を後ろから抱きかかえる者がいる。これが御所五郎丸である。彼には昨夜、工藤祐経の寝所を教えてくれた恩がある。御所五郎丸に手柄をあげさせよう。五郎は歯向かいをせず、捕らわれの身となる。
 夜が明け、源頼朝の前に引きだされ、五郎は切腹を申し付けられる。最後に兄、十郎の首に会わせてくださいと五郎は願い出る。頼朝も涙を流して、桶に入った十郎の首を見せる。ここで突然入ってきたのが一人の若者である。「父の仇(あだ)、覚悟をいたせ」、五郎を鞭(むち)でピシッピシッと叩く。工藤祐経の倅の犬房丸(いぬぼうまる)であった。五郎は、兄弟で18年の歳月を掛けて仇を討つことが出来た、しかし犬房丸はたった一晩で仇を討てる、御身ほど幸せな者はいるか、と語る。「討てや犬房、叩けや犬房」。こうして建久4年5月29日、曽我五郎は刑場の露と消えたのであった。「散れや桜に武士の意地」、曽我兄弟が見事本懐を遂げたという「曽我物語」はこれまで。




参考口演:六代目宝井馬琴

講談るうむ(http://koudanfan.web.fc2.com/index.html
inserted by FC2 system