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『曽我物語〜裾野の雨』あらすじ

(そがものがたり〜すそののあめ)



【解説】
 曽我十郎祐成(すけなり)、曽我五郎時致(ときむね)の兄弟は幼少の時に、父親の河津祐康(かわづすけやす)を殺害される。兄弟は仇の工藤祐経(すけつね)を追い狙うが、なかなか仇討ちは叶わない。父が殺されて18年経った建久4(1193)年5月、源頼朝は富士の裾野で狩倉(かりくら)を催し、家臣の工藤祐経も同道する。5月28日の夜、いよいよ曽我兄弟が本懐を遂げる時が来た…。「赤穂義士伝」「伊賀の水月」とともに、この「曽我物語」は「日本三大仇討」と呼ばれている。

【あらすじ】
 安元2年10月14日、伊豆赤沢山・奥野での狩倉での帰りに柏が峠で、工藤祐経(くどうすけつね)の命を受けた、近江、八幡の2人が河津祐康(かわづすけやす)に弓矢を放ち殺害する。河津の息子、兄の一万が5歳、弟の箱王は3歳、のちに2人は相模国・曽我中村の曽我太郎の養子になる。兄の一万は元服して十郎祐成(じゅうろうすけなり)、弟の箱王は五郎時致(ごろうときむね)と名前が変わる。
 源頼朝の世になって、工藤祐経は一臈別当(いちろうべっとう)という要職に就く。曽我兄弟はすぐそばに父親を殺した相手がいるのに仇を討つことが出来ない。
 18年の歳月が経った。建久4年5月、頼朝は富士の裾野で狩倉(かりくら)を催すことになる。工藤祐経ももちろん同道する。曽我兄弟にとっては仇討ちのまたとない機会である。みすぼらしい姿をして割れ竹を手にし、勢子(狩猟の助けをする役目の人)の中に混じって工藤祐経を付け狙う。5月24日から降り出した雨は27日まで降り続く。28日の明け方近くになってこの雨がやむ。狩りが出来なかった面々が早朝から狩場に繰り出して、手柄を争う。工藤祐経は眼前の小鹿めがけて馬を飛ばす。これを曽我兄弟2人が追う。すると兄の十郎が木の根に躓いてバッタリと倒れる。五郎が助け起こす。「なぜ、我に構わず工藤祐経を討たないのだ」。そこで馬に乗りやって来たのは、今日の狩場の当番である武蔵国の住人、畠山重忠(はたけやましげただ)である。「まだしきに 色づく山の 紅葉かな この夕暮れを 待ってみよかし」と歌を何度も繰り返す。
 またも雨が降り出し、この日の狩倉は中止になる。銘々は仮屋へと戻る。曽我兄弟も鬼王、団三郎という2人の家来が待っている賤が伏屋(しずがふせや:粗末な家)へと戻ってくる。今の時刻でいう正午頃、雨戸を叩く音がする。畠山重忠の家来の半沢六郎であった。「頼朝公はこの雨がやんだら鎌倉へ帰還するとの沙汰を下した。兄弟には今日一日のことと心得てもらいたい」と畠山からの口上を伝え、さらに包みを渡して帰っていく。包みを開くと酒の入った瓢(ふくべ)、「畠山の臣 弥源太(やげんた)、弥源次(やげんじ)」の印鑑、「まだしきに 色づく山の 紅葉かな この夕暮れを 待ってみよかし」と認められた短冊。五郎はこの歌の意味を考える。紅葉が色づくのは秋、秋は穫り入れの時、我らの「取り入れ」と言えば工藤祐経の首、「この夕暮れを 待ってみよかし」、今夜、仇をとって本懐を遂げよという、親切なるご助言なのだ。兄弟は畠山重忠の厚情に感謝し、陣屋に向かって頭を下げ礼をする。
 曽我兄弟は家来の鬼王、団三郎ともに瓢の酒を酌み交わす。曽我中村の母親への手紙を前半は十郎、後半は五郎が認め、鬼王、団三郎にこの手紙を届けるよう託す。2人は兄弟のお供をしたいと泣いて頼むが、母親の面倒をみて貰いたいと言い、曽我中村へと帰す。
 十郎が携えるのは微塵丸(みじんまる)、五郎が帯するのは友切丸(ともきりまる)という名刀。五月雨が激しく降る夜、松明(たいまつ)を持ち、一の木戸まで来た。ここを固めるのは稲毛重成(いなげしげなり)である。曽我兄弟は「我々、畠山重忠の郎党、弥源太、弥源次でござる」と告げる。稲毛重成は彼らが曽我兄弟であることを知っていたが温情で木戸をそのまま通す。次が二の木戸で当番役は千葉常胤(つねたね)である。「我々、畠山重忠の郎党、弥源太、弥源次でござる」。「畠山の仮屋とは方向が違うではないか」、千葉常胤は責める。曽我兄弟は印鑑を差し出すが通行は許されない。そこへ松明を持って現れたのが北条時政(ときまさ)の家来の網代小源太(あじろこげんた)である。曽我兄弟とは顔なじみであるのだが、「弥源太、弥源次殿ではござらんか」と声を掛ける。千葉常胤に怪しい者ではないと告げ、曽我兄弟の通行は許された。
 最後に三の木戸である。見るとこれは梶原景時(かじわらかげとき)の幔幕(まんまく)である。実は五郎と景時は、「化粧坂(けわいざか)の少将」という女性を巡っての恋仇であった。化粧坂の少将は五郎にはぞっこんだったが、景時には相手にもしない。景時には恋の恨みがある。もうこれまでだと曽我兄弟は諦めかける。そこで、にわかに辺りが明るくなる。松明を持った組子十人を従え見回りに来た御所五郎丸(ごしょのごろうまる)であった。兄弟は「我々、畠山重忠の郎党、弥源太、弥源次でござる」と告げる。御所五郎丸は2人が曽我兄弟と分かる。「我が人数に加われ」。兄弟は十人の組子の中に加わる。通り過ぎようとすると景時は「先ほどは十人でなかったか」と責めるが、御所五郎丸は「それは見間違えたのだろう」と言いくるめ、無事三の木戸を通過する。
 激しい雨で曽我兄弟の持つ松明の火も消えてしまった。これでは道を探すのにも難渋する。「2人が戻るべき仮屋をお教え進ぜよう」御所五郎丸は言い、たくさんある仮屋の紋所を次々に言い立てる(これから「紋づくし」が続く)。「こなたに一段高きあの所に、縹色(はなだいろ)に木瓜(もっこう)の幔幕こそ、今宵ぞめざす、否、今宵ぞ目立つ、伊豆の国三箇(さんが)の庄の主(あるじ)たる、一臈別当、工藤左衛門祐経の仮屋とこそは知られけれ」、工藤祐経の紋所を最後に告げる。御所五郎丸は十人の組子を連れて去っていく。こうして、工藤祐経の仮屋の場所を知った曽我兄弟は、見事仇討ちを果たし、父親の無念を晴らしたという。




参考口演:一龍斎貞水

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