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『清水次郎長伝〜吉良の仁吉』あらすじ

(しみずのじろちょうでん〜きらのにきち)



【解説】
 慶応2年4月8日、神戸(かんべ)の長吉(ながきち)は、吉良の仁吉、清水の次郎長の身内と共に、伊勢一番の親分である穴太徳次郎(あのうとくじろう)を相手に大喧嘩になる。これが有名な「荒神山の血煙」である。この話はその前段で、穴太徳次郎は全部で身内が1200〜1300人もいるという大親分である。とても敵う相手ではない。そこで長吉は三州の吉良の仁吉の所へ助っ人を頼もうと思いやって来る。しかし仁吉の女房のお菊は穴太徳次郎の妹であることに気づく。助っ人にはなってもらうのは無理かと長吉が思っていたところで、仁吉は…。

【あらすじ】
 慶応2年3月26日の昼下がり、三州・吉良の横須賀、仁吉の家を訪ねたのは、兄弟分である伊勢の神戸(かんべ)の長吉(ながきち)である。「おいお菊や、お前の嫁入りの時に世話になった兄弟分の長吉が来たぞ」。仁吉の女房のお菊は18歳、障子を開けて入ってくる。「いらっしゃいまし」。「はるばる伊勢からなにをしに来たんだ」、仁吉は尋ねる。長吉は「お菊さんには席をはずして貰えないか」という。お菊は部屋を出る。
 長吉は話す。父親の伝左衛門の時代から毎年4月8日になると荒神山の持ち場(バクチ場)で千両というテラ銭が懐に入る。だから、身内全部集めても50か60人ほどしかいない小バクチ打ちの自分でも、諸国の親分、河岸元連中と五分五分と付き合いが出来る。その荒神山の持ち場に目を付けたのが穴太徳次郎(あのうとくじろう)で、無理な喧嘩を吹っかけて来たという。向こうは全部の身内を集めたら1200〜1300人、とても勝ち目はない。負けるのは覚悟のうえで、出来るだけ闘わなければ男が立たない。そこで思い出したのが仁吉である。仁吉の親分は寺津の間之助(まのすけ)、清水の次郎長親分とは兄弟分である。ところがついさっき思い出した。仁吉の女房のお菊は穴太徳次郎の妹だ。なので仁吉には味方にはなってもらわなくてもいい。その代わり穴太徳次郎の側にも付かないでくれ。仁吉が相手では切っ先が鈍る。
 涙を流しながら語る長吉の話を、仁吉はじっと聞き入る。しばらくして筆を取って三行半(みくだりはん)の離縁状を認める。仁吉はお菊を部屋に入れ「何も言うな、これを持って兄貴の元に帰れ」と告げる。お菊が立とうとすると、「お菊さん、おめえさんはここを出ていくことはないんだ」と長吉は止める。長吉は涙を流しながら語る。「仁吉、有り難う。お前さんの言葉を聞いただけで、伊勢から来ただけの甲斐はあった。だが、まだ夫婦になって三月、なにも別れることはねえ」。仁吉は言う。「おめえとは生まれる時は別々でも、死ぬときは一緒に死のうと誓った仲だ。吉良の仁吉は女房のために兄弟分を見捨てるような、そんな意気地なしではねェぞ」。続けて「さあお菊とは離縁したので、穴太徳とは元の通りの赤の他人だ。あの男が悪かったと詫びを入れて荒神山を取り戻せればそれで良し、もしそれが出来なかったら、俺とお前の墓が荒神山のてっぺんに建つと思えばよい」と言う。
 今度は仁吉はお菊に向かい、胸を叩いて啖呵を切る。「向こうへ帰ったら穴太徳に言ってくれ。火事場泥棒みたいに人の弱みに付け込んで縄張りを奪うような、そんな野郎の妹を女房に持つようではこの吉良の仁吉の男が立たないと」。泣き崩れるお菊を二人の子分、立川慶之助と山根の三蔵がやっとの思いで連れて出す。あとに残った長吉は仁吉に手を合わせる。「おれは助っ人、喧嘩をするのはお前だからしっかりしてくれよ」、仁吉は言う。
 お菊を送りに行った子分のうち立川慶之助があわただしく戻ってくる。船着き場ではお菊が船に乗るのを嫌がって半狂乱のようになっていると伝える。すると今着いた船から清水の次郎長親分が大勢の子分とともに降りてきて、今こちらに向かっていると言う。「そいつは大変だ」。仁吉の家の二階には、親分の次郎長をしくじって匿われている連中が大政・小政をはじめとして17人いる。
 こうして次郎長は仁吉の家に到着し一部始終を聞く。仁吉の義侠に感心をし、二階にいる17人を許して、後から連れて来た10人と共に長吉の喧嘩の助っ人になる。総勢29人が慶応2年4月8日の朝、伊勢・荒神山の釈迦堂の前に集まり、穴太徳次郎一家430人を向こうにまわし闘うことにな。この喧嘩で吉良の仁吉は26歳で荒神山の露と消えることになるのである。




参考口演:三代目神田ろ山

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