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『清水次郎長伝〜心中奈良屋』あらすじ

(しみずのじろちょうでん〜しんじゅうならや)



【解説】
 東海道一の大親分、清水の次郎長が名を売り出す前の話。清水湊の米問屋の通称「次郎長」は、バクチとも縁を切り今はお蝶という女房を迎え、真面目に働いている。そこへ一人の托鉢の老僧が来て、「あなたは間もなく命が尽きます」という。それから自由に暮らそうとまたもバクチに手を出した次郎長。ある日、江尻でお米という遊女と呉服屋の使用人の幸助が心中しようとしているのを見つけ、これを助ける。ここから次郎長の運命が変わり始める…。

【解説】
 清水湊の米問屋、坂本屋の次郎八の倅の長五郎、通称「次郎長」と呼ばれている。一時はバクチに夢中になるが今はスッパリと見切りをつけ、お蝶という女房も迎え、今では真面目に働いている。オヤジの次郎八も安心したのか、ふとした風邪が元でこの世を去る。孝行者の次郎長は立派な弔いをあげ、以来いっそう稼業に精を出す。
 ある日のこと、「南無、南無、南無」とお経の声が聞こえる。次郎長はなんだと思ってみてみると、店前には70歳くらいの托鉢の老僧が立っている。次郎長は幾ばくかの金を紙に包んで、鉄鉢のなかに入れる。老僧は軽く会釈をするが、次郎長の顔を見るなり、緊張した面持ちになる。「あなたはご当家のご主人かな」「はい、そうですよ」「これはお気の毒」「いったいなんのことだい」、次郎長が事情を聞くと、次郎長の寿命は長くはない、早くて1年、遅くても2〜3年のうちに命は尽きるだろうという相が表れているという。それから商売の方もうまくいかなくなり、店が暇になり、奉公人もどんどん出て行ってしまう。こうなると次郎長もやけっぱちである。「働くのが嫌になった、しばらく自由にさせてくれ」と言うと、お蝶も「ああ、いいとも。なんでも好きなことをしておくれ」と答える。
 それから次郎長は一時止めていたバクチに再び手を出す。自然とそちらの方でも有名な顔になる。1年ほど経った6月の夜のこと。江尻でのバクチで儲け、懐には金がたんまりある。河っぺりをブラリブラリと歩く。月明かりに照らされ、若い男女がしょんぼり立っている。どうも女郎とその客のようである。あっ、心中だ。声を掛けると川に飛び込んでしまう。次郎長は足音を忍ばせて後ろからソッと近寄り、2人を抱きかかえる。次郎長が見ると女は知っている者で四ツ目屋のお米であった。男はお米の馴染みの客で幸助という。事情を聞くと、幸助は駿府の七軒町の奈良屋という呉服屋の背負荷をしていると言い、26歳であるという。お米に入れ込んで荷物の代金を使い込んでしまい、棚卸の日までに金を用意することができない、それで死のうと思ったと語る。次郎長は良くあることだと笑い、話を付けてやると言う。
 次郎長は2人を連れて四ツ目屋の塀のところまで来る。四ツ目屋の主は多左衛門といい、表向きは遊女屋の主人であるが、千人という子分を持っている大親分である。茶を飲んでいるところを次郎長が訪ねてくる。多左衛門は新しく造った蔵を「お米蔵」と名付けると言う。お米は6年もの間しっかり働き、驕ることもない。下の者の面倒も良く見る。この蔵はお米が建ててくれたようなものだという。しかしそのお米が昨夜逃げ出してしまったと話す。最近、駿府の奈良屋という呉服屋で背負荷をしいている幸助という男に夢中になっていたので、おそらくその男と心中でもする気なのだろう。心中して死なれてしまっては「あの多左衛門がこき使うからだ」と評判が立って立つ瀬がない。どこかでひっそりと2人幸せに暮らして貰えればいいが、多左衛門はこう言う。次郎長はもしもお米がもし帰ってきたらどうするかと尋ねると、多左衛門はまだ年季が2〜3年残っているが、もう済ましてやってもよいと言う。お米が一緒になりたいという男がいるなら自分としても出来るだけのことはしてやりたい、これだけ言ってくれれば2人は死ぬ必要はない。次郎長が呼ぶとお米と幸助が現れる。多左衛門は次郎長にまんまといっぱい食わされた。
 これから次郎長は駿府七軒町の奈良屋勘兵衛宅を訪れる。勘兵衛からはよく幸助を救ってくれたと感謝される。相手がそんな真心のある女性ならこちらからも祝ってあげると言う。また幸助が手を付けた店の金100両は毎月1両ずつ返してくれれば良いという。
 これから幸助とお米は江尻に呉服の小さな店を出す。この店がどんどん繁盛し、借金はあっという間に返し、3年目には奈良屋から暖簾を分けてもらう。今では奉公人を大勢置くまでの立派な店になる。
 一方、次郎長はその後、漁師町に土場(バクチをする場)を開き、若い者を集め、いつの間にか親分、河岸元と呼ばれるようになる。ある日のこと、店先で「南無、南無、南無」とお経が聞こえる。ハッと思った次郎長が経を読んでいる坊さんを見ると、いきなり坊さんの胸倉をつかんで、「やい、坊主、手めえのおかげでおれはこんな風になっちまったんだぞ」「いったいあなたはどなたかな」「今から4年前、早くて1年、遅くて3年で命を絶つと言っててじゃないか」「あの時のご主人か」「あの時おかしなことを言うから俺はヤクザに成り下がってしまったんだ」。もう一度老僧が次郎長の顔を見ると死相が消えているという。人の命を救ったことはあるかと尋ねられ、そういえば以前幸助とお米の命を助けたと答える。その人並外れた善根で寿命が永らえたのだ。このままいくと、90歳、100歳と生きられるという。次郎長は莫大な金を寄進し、老僧は帰っていく。実はこの僧は世田谷高徳寺の住職で東龍和尚と言い、名僧として評判の高い方であった。その後も次郎長はしばしばこの寺に立ち寄り、和尚のありがたい教えを受けるのである。これから次郎長は名を高め、東海道一の親分と呼ばれるようになる。




参考口演:二代目神田山陽

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