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『蟹の五左衛門』あらすじ

(かにのござえもん)



【解説】
 戦国時代の武将、鎌田五左衛門ははじめは織田信長に仕え、のちには信長の長男、信忠の家臣となる。天正10年の本能寺の変では、二条城で信忠の介錯を努める。しかしその後井戸に転落し九死に一生を得る。主君や同士はみな戦死をしたのに卑怯未練な奴と嘲笑され、付いたあだ名は「蟹(かに)の五左衛門」であった。妻にも逃げられ、五左衛門は再起をかけて尾張の福島正則の元に頼み込むと、意外にも正則は5000石の禄で仕官してくれと言う…。

【あらすじ】
 はじめは織田信長に仕え、のちには信長の長男、信忠の御側役になった鎌田五左衛門という者がいる。豪勇の名が高く忠義者であったのになぜか「蟹(かに)の五左衛門」という妙な名で呼ばれる。
 天正10年6月2日、明智光秀は謀反を起こし、京都蛸薬師・本能寺の信長公の宿所と、若君の信忠公のいる二条の城に1万有余の軍兵を差し向ける。二条の城を襲った明智方の兵は4千で、城内にいた500の軍勢は必死に防戦するが、普請中であった城はあちこちから打ち破られ、味方の将兵は次々に討ち死にをする。信忠公はもはやこれまでと、名もない将兵の手に掛かるよりはと自刃をする覚悟である。介錯は鎌田五左衛門に頼み、首はどこかに隠してくれと言い付ける。五左衛門も承知をし、冥途で信忠公と再会する覚悟である。望み通り信忠公は五左衛門の介錯で腹を切る。五左衛門は刀の先で庭の木の下を掘り起こして信忠公の首を埋め主君との約束は果たす。
 火は四方から迫り天を焦がすばかりでもうどこにも進むべき場所はない。五左衛門は煙のなかをさまよっていると、井戸の中にドンと落ちる。井戸はそれほど深くはない。城内にはすでに敵兵が侵入しており、動くことも出来ないし死ぬことも出来ない声をあげることも出来ない。そのうちに火は収まってしばらく経ち敵兵も引き上げていく。
 3日の夜になり、五左衛門はそっと家へ戻り、庭先から見ると妻は自分の菩提を弔っている。意を決して五左衛門は家に入る。驚いた妻は幽霊が出たものだと思う。五左衛門は事情を話し妻も納得した。さて夜が明けると、御主君や同士が残らず戦死したというのに、井戸にもぐって命を永らえたとは侍ではない、蟹(かに)同様な奴だと馬鹿にされ、お留守居役の蒲生親子はそんな五左衛門に憤然とする。
 ついには城下から放逐され、そのうちに羽柴秀吉により明智光秀は討たれ、仇討ちの機会も失ってしまう。五左衛門は妻を連れ、都へやってきた。噂を聞き付けた連中は五左衛門の姿を見ると、「蟹のじいさんどこへ行く」と悪口をさんざんに言う。妻は夫婦の縁を切ってくださいと言ってどこかへ消えてしまった。
 妻にも逃げられてしまい五左衛門はあても無く一人諸国を漫遊するが、いつしか尾張国へとやってきた。ここは福島正則公の城下である。この方の元に仕え先年の恥辱を晴らすことは出来ないか。お目通りを願うと、意外にも正則公はすぐに五左衛門に会うという。臆病者の「蟹侍」が日本一の英雄、この福島正則の家来になりたいとは面白い、正則は片手を出した。お側に仕える小姓たちは片手なので五人扶持かなと思う。しかし聞くと5000石を与えると言う。五左衛門は涙を流して喜ぶ。
 年月は流れ、慶長の役である。主君の福島正則公とともに五左衛門も海を渡る。先鋒の加藤清正は蔚山(うるさん)で明の大軍24万に取り囲まれ兵糧攻めにされる。しかし清正と不和である宇喜多秀家、小西行長らは援兵を出そうとしない。清正の軍勢は食する米も水もない。福島正則はなんとかして助けようと蔚山まで兵を進めるが、相手の数は24万である。ここで清正の勢に兵糧を送る役を引き受けたのが鎌田五左衛門であった。臆病者とさげすまされていた五左衛門が汚名を晴らす、またとない機会である。
 500の兵を連れ、敵兵をかいくぐりなんとか清正の軍勢が籠城している所までたどり着く。兵糧を届け、5里先に正則の援軍が到着していることを清正に伝える。「日本に凱旋した折は鎌田五左衛門は晴れがましい活躍をしたと吹聴してください」と告げると清正はうなずいた。これが今生の別れであろう、清正は涙する。五左衛門はまた明の大軍の中へ戻るが、金の九枚笹の指物を付けた五左衛門は敵陣の中でバッタリと倒れる。「蟹の五左衛門」はここに最期を遂げたが、その名と働きぶりは後世にまで伝えらたのである。




参考口演:田辺いちか

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