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『鬼面山谷五郎』あらすじ

(きめんざんたにごろう)



【解説】
 鬼面山谷五郎は幕末から明治にかけて活躍した力士で13代目横綱。現在の岐阜県養老町出身。1869(明治2)年、明治時代になって始めての横綱となったがこの時すでに43歳で、横綱としては長続きしなかった。

【あらすじ】
 幕末から明治にかけて活躍した力士で鬼面山谷五郎という者がいた。岐阜県養老町の出身で水呑み百姓源助の三男で実家は貧乏暮らしだった。幼名は力松で子供としてはずば抜けて背が高く、力仕事ならなんでもこなす。しかし大変な大飯喰らいで、一家としてはこれが悩みの種だった。力松は生まれてこの方腹いっぱいになるまで飯を食べたことが無いという。そこで父親は奉公に出たらどうかと言う。奉公先なら存分に食べさせてくれるところもあるだろう。こうして力松は仕方なく奉公に出ることになる。わずかな金を持って村を出る。行く先々で仕事を見つけて精いっぱい働くが、なにしろ食べる御飯の量が尋常でないので、すぐに追い出されてしまう。
 こうして、尾州の宮に着いた時には所持金もほとんど無くなった。昨日から食事を取ってなく、腹は減る一方である。目が回ってしょうがない。風呂にも3ヶ月も入っていない。フラフラ歩いていると船着き場まで来た。「そこにいる若いの」、50歳くらいの商人風の男が話しかけてきた。木の切り株に腰かけて、大きな荷物が2つある。キセルでプカリとタバコを吸っている。男が語るには、今船で着いたところだが、今日は頼む人足がいない。そこで力松に用事を頼む。この先に二軒屋という宿屋がある。そこに行って、今江戸から島田屋が着いて、船着き場で大きな荷物を持って待っているから、すぐに若い衆を迎えによこしてくれと、こう伝えて欲しいと言う。さきほど船乗りたちが3人がかりで船から降ろした荷物である。なかなか持ち上げられない力松だが、男が彼の尻を思いっきりつねるとスイッチが入ったか、この大きな荷物を持ちあげてしまう。この荷物を事もなげに、二軒屋の宿屋に運んでしまう。
 二人して二軒屋の宿屋にやってきた。商人風のこの男は江戸・尾張町の木綿問屋・島田屋の番頭で清兵衛という。「お前さんのおかげで助かりました」。座敷で力松にご飯をご馳走する。こんなうまい飯はない。あっという間にお鉢を空っぽにしてしまう。女中がお代りをもってくるが、これもすぐに平らげてしまう。力松は清兵衛にこれまでの事情をすべて話す。清兵衛は力松に江戸に来るように勧める。力松にとっても有り難い話である。
 翌日、清兵衛と力松は江戸へと向かう。尾張町の島田屋は大きな店である。そこへ力松は飯炊きとして奉公するが、これがまた良く働き、店での評判もよい。ある朝、この日も力松は早起きをして飯の準備に取り掛かろうとすると、島田屋に出入りしている大工の源助が通りかかる。島田屋の台所でタバコを一服する。源助は力松に何が楽しみでそんな働いているのかを問う。力松は鰻丼を腹いっぱい食べたい、天ぷらを腹いっぱい食べたい、寿司を腹いっぱいに食べたい、それでは食べることばかりである。それではその夢が叶うような仕事を世話してやろうと源助が言う。相撲取りになれと勧める。清兵衛からの許しも得た。
 力松は源助に連れられて深川の大関・阿武松緑之助の住居を訪ねる。中へ入ると阿武松がデンと座っている。阿武松が力松の身体を見ると、これがまた相撲取りになるために生まれてきたような体格である。力松に廻しを着けさせ、阿武松の弟子を相手にするがこれに次々と勝つ。阿武松が自ら力松と対戦する。力松はドンとぶつかるとたまらず阿武松は土俵から足が出てしまう。これは大物になるであろう。
 「力松」の名で土俵にあがり、その後しこ名を「弥高山(やたかやま)」に変更する。蜂須賀阿波守のお抱え力士になり、後年13代目横綱「鬼面山谷五郎」を勤める。百姓から飯炊き、のちには大横綱へと出世したという、「鬼面山谷五郎」の一席。




参考口演:旭堂南亰

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