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『菊花の契』あらすじ

(きっかのちぎり)



【解説】
 菊花の契(『菊花の約』とも)は江戸時代後期に、上田秋成(1734〜1809)が著した『雨月物語』のうちの一遍で、中国の小説を基にしたもの。
 播磨国・加古に母親とともに暮らす丈部左門(はせべさもん)は若い学者である。ある日知人の家を訪ねると、隣部屋には高熱にうなされ寝たきりの旅人がいる。左門は薬やお粥を与え看病すると徐々に回復する。旅人は出雲国富田の城主・塩冶掃部介に仕える赤穴(あかな)宗右衛門という侍であった。左門と宗右衛門は義兄弟の契りを結ぶ…。

【あらすじ】
 長享元年というから戦国時代。室町幕府は無力であちこちで謀反が起こる。人を信じることが出来ないという下克上の時代である。
 播磨国・加古に丈部左門(はせべさもん)という若い学者がおり、よく書物を読み学問に没頭している。年老いた母親は家事一切を引き受け、左門が学問に打ち込めるように手助けしている。
 ある日、知人の家を訪ねて話し込んでいると、隣の部屋からなにやら苦しそうにうめく声が聞こえる。知人に聞くと3日前に東の方からやって来た者で、仲間とはぐれたというので家に泊めてやったが、病気にかかり高熱にうなされ寝たきりだと言う。なにか疫病ではと心配したが、左門は薬やお粥を与え看病すると徐々に回復する。
 男は赤穴(あかな)宗右衛門という者であり、出雲国松江郷・富田の城主の塩冶掃部介(えんやかもんのすけ)に仕える侍で、兵法を教えていたという。宗右衛門が近江国に使いに行っている間に、尼子経久(あまこつねひさ)は富田の城を攻撃し、塩冶掃部介は討たれてしまった。出雲の様子を探るため近江国を出立し西へ向かっていたという。
 宗右衛門は左門の家に引き移る。ここで宗右衛門は養生をし、すっかり健康も回復した。左門と宗右衛門は義兄弟の契りを結ぶ。夏になって出雲の状況が気になる宗右衛門は9月9日の長陽の節句にはこの地へ帰るからと約束して、出雲へと旅立つ。
 9月9日の重陽の節句になり、左門はご馳走を用意して宗右衛門の帰りを待つが、いつまで待っても姿を現さない。夜も更けて、上弦の月も沈んだ頃、黒い人影が現われる。彼こそ宗右衛門あった。左門は手を取って宗右衛門を座敷の上座に座らせる。すると宗右衛門は、自分はこの世の者ではない、死霊であると言う。
 宗右衛門は事情を話す。宗右衛門は出雲で従兄弟の赤穴丹治と会った。丹治は尼子経久に付き従うよう勧める。経久は確かに武勇には優れているが、人のことを信じず、いつも疑ってばかりいるとして宗右衛門は断る。すると宗右衛門は牢に入れられてしまった。なんとかここを逃れようとしたがどうにも出来ず、このままでは約束した9月9日に左門の元には戻れない。そこで自ら命を絶ち、魂となって左門の前に現れたという。こう言って宗右衛門の魂は姿を消した。
 左門は宗右衛門の亡骸を葬るため出雲を訪れる。富田の城の赤穴丹治に事の次第を話し、武士としての信義を守るため宗右衛門は命を絶ったと告げる。左門は丹治を斬り殺し、その場を去る。左門は出雲を離れるが、この話を聞いて感に堪えない尼子経久は彼の跡を追わなかった。その後、左門と母親と2人、加古の地で静かに暮らしたという。




参考口演:宝井琴星

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