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『梅若塚の由来』あらすじ

(うめわかづかのゆらい)



【解説】
 梅若丸の伝説は、謡曲「隅田川」、浄瑠璃、歌舞伎などで有名である。梅若丸が葬られたという梅若塚は墨田区堤通2丁目に所在したが、昭和に入ってからの都市再開発事業で消滅。塚の跡地は「墨田区立梅若公園」として整備されて説明板や石碑が建てられている。

【あらすじ】
 京の北白川に住む公家の吉田少将。班女(はんにょ)の舞という妻がいるが、子がいまだない。日吉の山王権現に祈願すると元気な男の子を授かり、梅若丸と名付ける。7歳の時、比叡の山で学問を学ばせるが、やがて父親の吉田少将が病の床に着き、やむなく家へと戻る。吉田少将は、義弟の松井源五郎とその家来である粟津六郎、山田三郎に、この吉田の家を梅若丸に譲るので協力して盛り立ててくれ、後は任せたと言い残してこの世を去る。
 松井源五郎は、お家乗っ取りを企み、山田三郎に相談、梅若丸殺害の策略を企てる。さらに粟津六郎にこの話を持ち掛けるが、粟津は頑として応じない。松井は梅若丸を亡き者にしようと家来300人で吉田の家を攻める。吉田の側には50人ほどの家来がおり応戦するが、多勢に無勢でとてもかなわない。粟津六郎は吉田の屋敷に火を放ち、混乱に乗じ梅若丸と班女(はんにょ)の舞を脱出させる。
 坂本をめざし、一人梅若丸が歩いていると、大津の浜で一人の商人風の男が話しかけてくる。行く方向が同じだとこの男に道案内を頼み、2人一緒に山道を歩く。途中梅若丸は月の出る方角から、目指す坂本とは別の方向へ向かっていることに気づく。この男は信夫の藤太という人買いであった。雅で品のあるこの少年なら、「みちのく」で高く売れるだろうとグルグル巻きにし、陸奥国・白河へと向かう。
 一方、坂本へは先に班女の舞が到着していたが、いつまで経っても我が子は来ない。京へ戻り、梅若丸を探すと、駿河路で気品のある子どもを連れた人買いに出会った、その男はみちのく訛りの喋りをするので、陸奥の白河へ向かっていたのだろうという情報を得る。班女の舞は、「梅若丸や」と気も狂わんばかりに声を張り上げながら、東海道を東へと向かう。
 隅田川の河原から舟に乗ろうとすると、向こう岸から鐘を叩き念仏を唱える声がする。渡ってみると小さな塚があり、人々がそこで念仏を唱えている。班女の舞は誰の墓かと尋ねると、ちょうど1年前、人さらいに遭った子供1人が病で行き倒れになっていた。その子は自分が死んだら柳の木を植えてくださいと言い残し絶命した。その子はきれいな顔立ちで歳は12で梅若丸という名だったと言う。それは間違いなく我が子であると嘆く班女の舞。一心不乱に念仏を唱える。やがて髪を切り落とし尼になり、梅若塚で菩提を弔うのであった。




参考口演:田辺一乃

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