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『加賀騒動〜仇討ち神田祭・孝行鉄』あらすじ

(かがそうどう〜あだうちかんだまつり・こうこうてつ)



【解説】
 「加賀騒動」は加賀藩六代目藩主・前田吉徳の代に起こったお家騒動で、家臣の大槻伝蔵(おおつきでんぞう)が暗躍する。
 「仇討ち神田祭」は、加賀藩の大名行列で父親を死なせてしまった鉄五郎が神田祭の際に仇を討つという筋で、単独で掛かる時は親孝行を讃える話になる。一方で、連続の読み物「加賀騒動」としては、この騒ぎを内々に収めるため大槻伝蔵がその能力を発揮して出世の糸口をつかむという伏線になっている。

【あらすじ】
 江戸時代の話、神田の今川橋の袂では伊万里焼の問屋が蔵普請をしている。ここに白壁町の左官職人が入って仕事をしている。八ツ、現在でいえば2時頃の煙草休みである。今日の茶請けは大坂屋の最中(もなか)である。鉄五郎も休憩をしお茶を飲む。最中を3つばかり取り、それをドンブリ(腹掛けに付いている袋)の中に入れる。真向こうに座っていた脳天辰がこれを見て怒り出す。「今、お前最中を隠しただろう、食いたいならここで食えよ」。「食いたかァねえよ」。鉄五郎は語り出す。自分の親父は中気で3年間寝たきりである。最近は酒を飲まず甘いものばかり食べている。それでこの最中を持ち帰り親父に食べさせてあげようと思って、ドンブリの中に入れたという。すると向こうから出て来た親方が自分は甘いものを食べないからこの最中は持っていけと言う。他の仕事仲間も次々と最中を鉄五郎に差し出す。「親父も喜びます」、鉄五郎は感謝する。
 鉄五郎の父親、鉄右衛門は女房には随分前に死なれている。中気に罹り寝たきりで、最近は目も患っており外に出ることが出来ない。帰って来た鉄五郎は最中を渡す。眼医者に連れていこうと鉄右衛門を負ぶって須田町の裏長屋を出る。
 昌平橋を渡って加賀っ原まで来ると、昌平坂の上から「エイー、ホゥー、片寄れェ」という声が響き渡る。梅鉢の紋なので加賀様の行列である。さすがは加賀様、たいそうな人数である。先頭の露払いが「下がれ、下がれ」と言う。しかし後ろは崖でこれ以上は下がれない。それでも「下がれ、下がれ」と言う。胸を突かれ、父親を背負ったまま鉄五郎は真っ逆さまに落ちる。父親は頭から血を出している。「ひでえことしやがる」。2〜3人の者の助けで二人は引き揚げられ、父親を戸板に乗せて須田町の裏長屋へと戻る。医者に診てもらうが手遅れでもう助からないという。父親の鉄右衛門は苦しんだ末、明け方になって死んでしまう。
 近所からは「孝行鉄」と呼ばれていた鉄五郎。毎日父親の位牌の前でボンヤリしている。「ちくしょう、必ずこの仇は討ってやる」。しばらくたって仲間が連れだし、仕事場に戻ってくる。やがて仕事にも精をだすようになる。
 翌年の9月15日はご祭礼、神田祭りである。鉄五郎も山車を曳く衆に加わっている。山車は加賀っ原に差し掛かった。鉄五郎には嫌な思い出のある場所である。その時昌平坂の上から「エイー、ホゥー、片寄れェ」の掛け声、加賀様のご行列である。江戸っ子は大名相手に怖じ気付かない。「構わないから山車をこのまま引っ張れ」。加賀の行列だと聞いた鉄五郎は、山車に用意してあった丸太を取り上げる。行列の先頭にいるのは朝倉小太夫で、昨年鉄五郎の胸を突いた奴である。こいつのせいで父親は死んだのだ。親の仇、鉄五郎は丸太ん棒で殴りかかる。小太夫の目が飛び出てそのまま倒れてしまう。
 「一人殺せば、あとはオマケだ」、鉄五郎はなおも丸太を振り回す。「喧嘩だ、喧嘩だ」。江戸っ子連中は山車の瓦を、加賀の行列めがけて投げつける。加賀の殿様は駕籠のなかで驚く。ここで奉行所の役人が出てくれば厄介なことになる。殿様お気に入りの大槻伝蔵という若侍が、「静まれ、静まれ」と叫ぶがもうどうにもできない。行列の中に加わっていた20人の鉄砲足軽が、空に向けて弾を放つ。さすがの江戸っ子連中も驚いた。この隙をみてお駕籠を本郷の御屋敷へ引き揚げさせた。
 しかし江戸市中で20挺の鉄砲を撃つとは穏やかでない。死人も怪我人も沢山出た。これを大槻伝蔵がうまく内済に収め、誰一人咎人にはならなかった。鉄五郎の親孝行は称賛され、またこれから仕事に励み、左官の親方になって大勢の者の面倒をみたという。




参考口演:宝井琴梅

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