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『一本刀土俵入り』あらすじ

(いっぽんがたなどひょういり)



【解説】
 「一本刀土俵入り」は長谷川伸が1931(昭和6)年に発表した戯曲。歌舞伎や歌謡曲などでも有名である。
 水戸街道の取手宿。一文無しの相撲取り、駒形茂兵衛がトボトボと歩いていると、上から声を掛ける女がいる。お蔦という酌婦であった。「いつか故郷で錦をあげたい」という茂兵衛に、お蔦は金、櫛、簪(かんざし)を恵む。感激した茂兵衛は、いつかお蔦に恩返しをすると言って、取手宿を離れる。そして10年経ち、二人が再会する時が来た…。

【あらすじ】
 天保2年秋の昼下がり、水戸街道、常陸国・取手の宿にやってきたのは、すっかり力を落とした相撲取りである。秋風が身に染みるのに、着ているのはヨレヨレの一重物が一枚で、やっとのことで歩いている。この宿の中ほどに「我孫子屋」という大きな茶屋がある。2階から声を掛けるのは23〜24歳、色の抜けるように白い酌婦(しゃくふ)である。「ちょっと、取的(相撲取り)さん、どうしたの」「わしは一文無しで」「お郷はどこなの」「上州・勢田郡の駒形です」「いつか故郷に錦を上げておやり」「わしはいつか、故郷のおっかさんの墓の前で横綱の土俵入りをしたいのです」。
 相撲取りが去ろうとすると、利根川を渡る舟の代、それに食事をする代だと言って、酌婦は金を渡す。さらにこれではまだ足りないだろうと言って、櫛(くし)と簪(かんざし)を渡す。こんな優しい人に初めて会ったと、相撲取りは涙を流して喜ぶ。酌婦は越中八尾(やつお)の生まれでお蔦という。相撲取りの名は駒形茂兵衛で、きっと横綱になってお蔦への恩返しをすると約束し、2人は別れる。
 駒形茂兵衛が取手の宿を去って10年が経った。お蔦には船印堀師(だしぼりし)で辰三郎という男がいた。お蔦には子どもが出来たが、辰三郎とは音信不通になりどこにいるかも分からない。お蔦は酌婦を止め、今は利根川べりに飴屋を開いて、お君という名の小さな女の子とともに侘しく暮らしている。ここに儀十(ぎじゅう)というヤクザ者が5〜6人の子分を連れてやってきて、イカサマバクチ師の辰三郎を出せと言う。お蔦はもう十年も辰三郎とは会っていないと答える。儀十たちは帰っていく。
 そこへ現れたのが辰三郎である。イカサマで儲けた金がいくらかあるという。3人でこの土地を出て、どこかへ行こうと相談する。そこへトントンと戸を叩く男がいる。辰三郎が戸を開けると、そこには月光を浴びた、35〜36歳のデップリした貫禄のある男であった。かつて我孫子屋で出会った茂兵衛で今は相撲を辞めて渡世人になっている。しかしお蔦は覚えていない。恩返しをしたいと言って茂兵衛は金を渡す。そこへ儀十の一味が戻ってきた。茂兵衛はこの場は自分に任せて逃げて下さいという。お蔦は戸惑うが、お君は「あの、おじちゃんお相撲取りみたいだから大丈夫」という。この言葉でお蔦は茂兵衛のことを思い出した。「相撲取りには成り損ねたが、喧嘩には強い男になりました。ご夫婦生涯添い遂げてください」。親子3人は利根川を渡って逃げていく。棒切れを持って、十年前の恩返し、これが横綱の土俵入りなのであった。




参考口演:三代目神田ろ山

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