『講談るうむ』トップページへ戻る講談あらすじメニューページへ メールはこちら |


『源平盛衰記〜扇の的』あらすじ

(げんぺいせいすいき〜おうぎのまと)



【解説】
  平家方から一艘の舟が現れ一人の女性が扇を広げている。源氏方の那須与一が波間に揺れるこの扇の的を見事に射落とす。「扇の的」は源平合戦でも最も有名なシーンであろう。講談では短めの話として、前座などもよく掛ける読み物である。優雅かつ格調高く読むのがこの話の要である。

【あらすじ】
 「平家にあらざれば人にあらず」と言われた平安末期。まさに平家は我が世の春を謳歌している。しかし源頼朝が挙兵してからは、平家は坂を転がるように凋落し、西へ西へと追いつめられる。破竹の勢いで攻め立てる源氏の軍勢はいよいよ屋島へやって来た。時は文治元年2月20日。平家方は屋島の内裏から舟を出し、海上には平家の赤旗がひるがえっている。一方、陸地(くがち)は源氏の白旗で辺りは真っ白である。
 両者戦っている時に、沖から飾り立てた舟が一艘やってくる。紅の袴(はかま)を身に付け、袖を頭上にかざしている女房がいる。名は「玉虫の前」のといい絶世の美女。舞の名手で歳は16である。この玉虫の前が、紅地に金の日輪(日の丸)が描かれた扇を棹に挟み、「これを射よ」と手招きをしている。これが有名な扇の的。敵である源氏方にこの扇の的を射るものはあるか。もし当て損なったら笑ってやろう、もし誤って真ん中の日輪に矢を射抜いたら源氏は朝敵になる。
 陸地では、沖を見つめているのが源氏方の大将、九郎判官義経である。「誰かあの扇を射落とすものはいないか」。畠山重忠(しげただ)、佐々木高綱など適当な理由をつけて断る。そこへ願い出たのが下野の住人、那須十郎左衛門という87歳の老人である。我が子の与一ならばあの扇を射落とせるでしょう。まだ17歳の与一は義経の前にかしこまる。ひとたび陣中に戻って準備をし、悠然と馬に乗る。与一は波打ち際に馬を止める。
 北風が強く浪も高い。玉虫の前の乗る船も上に下に大きく揺れている。これでは的が定まらない。敵も味方も固唾を飲んで見物している。「日本六十余州の神々、どうかこの与一にあの扇の的を射落とせたまえ」。祈り終えて悠然と目を開けば、不思議なことに風も浪も収まった。「しめた」とキリキリと弓を引き矢を放つと、矢は扇の要(かなめ)から一寸ばかり上のところをフツリと当たる。扇は要から離れ、ゆらりゆらりと夕空高く舞い、波間に落ちる。その様子は秋の暮れの初瀬の紅葉のようでもある。「射るたりや射たり」、これを見て群衆は思わず感嘆の声をあげる。紅の扇が波に漂うその面白さに、玉虫の前は「時ならぬ 花や紅葉をみるつかな 吉野初瀬のふもとならねど」と一首詠みあげた。
 この後、平家は義経に追い詰められ、とうとう壇ノ浦では入水をする。この時に玉虫の前も海の中に姿を消したのである。




参考口演:宝井琴鶴

講談るうむ(http://koudanfan.web.fc2.com/index.html
inserted by FC2 system