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『大久保彦左衛門〜旗本の我慢会』あらすじ

(おおくぼひこざえもん〜はたもとのがまんかい)



【解説】
 「天下のご意見番」として講談にもしばしば登場する大久保彦左衛門だが、これは天下泰平の世になり戦を知らなくなった若い旗本たちを彦左衛門が諫める話。家康が亡くなって30年。戦も無くなり最近では武士道も廃れてしまったと彦左衛門は嘆く。そこで発案したのが「我慢会」である。暑い夏の日はわざと厚着をして部屋を閉め切り、中では炭をおこして脂ぎった料理を食べる。冬は薄着で部屋を開け放ちにし、冷めたい料理を食べ、冷めたい酒を飲む…。

【あらすじ】
 家康がこの世を去って30年。戦もなくなり、最近では武士道が薄れている。侍でもチャラチャラとした格好をした者が増え風紀が乱れていると、天下の御意見番、大久保彦左衛門は嘆く。外見だけならまだしも心の内までが廃ってしまっては困る。彼たちの心を探ってみよう。彦左衛門は旗本一同を屋敷に呼び、「我慢会」を開くことにする。
 今は真夏、毎日うだるような暑さである。旗本たちには小袖(冬に着る綿の入った服)を必ず着てくるよう言う。彦左衛門もドテラを着て旗本たちを出迎える。太陽はカンカン照り、セミもミンミン鳴く。部屋は閉め切っており、中では炭がおこしてある。首には布が巻き付けてある。だれもかれも汗ぐっしょりである。そのなかで旗本たちは口々に「今日は寒い日でござりますな」「寒い、寒い」と言う。女中が料理を持っている。これは大皿にのったウナギの蒲焼であるか。旗本の一人、水野十郎左衛門がかじる。確かに香ばしいが妙に皮が厚くなんだか油っこい。第一ウナギとは香りがが違う。これは何であるかと尋ねると、ヘビの蒲焼であるという。胃がむかむかする、胸のスカっとする物が欲しい。今度は鉢に盛られた酢の物が運ばれてきた。食べるとコリコリと良いお味がする。これは何かというとナメクジであった。さらに碗の中に入った今度は活け作りであるという。踊り食いとはなんともオツである。蓋を開けるとそこには何やらもぞも動いている生き物がいる。前脚で顔をこすっている。これはアオガエル、目擦膾(めこすりなます)である。旗本連中は我慢して、これもパクリと口に入れる。
 大久保彦左衛門は言う。これはいざ戦の時の心の準備である、戦の時はヘビやカエルやネズミを食べなければならない時もある。かの加藤清正は蔚山(ウルサン)城に籠城した際、草を食べ木の根を食べさらには壁の土まで食べたという。こうやって常に精神を鍛えなければならない。こうして真夏の我慢会は終わった。
 秋が過ぎ冬になった。暮れでみぞれが降り、つくば降ろしの吹きすさぶ日である。またも彦左衛門は我慢会を催す。今度は旗本全員に帷子(かたびら)を着用するよう言い付ける。奥の一間では障子が開け放たれている。「今日は暑いの、鼻から汗がでるわい」こう言って鼻水を垂らす。風呂の用意が整ったがもちろん水風呂である。料理が運ばれるが、キーンと冷えた鯉の洗い、キーンと冷えた酒である。こうしてこの日の我慢会も終わった。
 若い旗本連中は「これは面白い」といい、あちこちで「我慢会」が流行る。いわゆる闇鍋で、味噌汁を仕立て、真っ暗なうちその中に各々が持ち寄った「具材」を入れる。参加者は一旦箸を付けた物は必ず食べなければならない。大久保彦左衛門はこれに怒った。我慢会を開いた当初の目的とは違うではないか。
 水野の屋敷で闇鍋が開かれることになり、彦左衛門も風呂敷を持って駆け付けこれに参加する。なにやらヌルヌルコリコリする物がある、これはニワトリの頭であった。今度は固くて口の中が切れる、これはヒトデであった。さらに一人の侍が食すと、大きな楕円形でツルンプルンとする。彦左衛門は「それはワシが持ってきた物じゃ」、これは草履の底であった。草履の底は元は牛の皮であるという。これを食した侍は烈火のごとく怒った。彦左衛門に向けて刀を抜くが、彦左衛門は「この草履の底を食べてからワシを斬れ」と言う。
 「我慢会」は戦を想定したものであったが、最近はそうでない。世の中には食べられる物と食べられない物があり、食べられない物を食べては逆に身体を壊してしまう。そうなれば戦場では役に立たない。彦左衛門が語ると、一同なるほどと思う。彦左衛門に手を付いて謝り、よくぞ意見してくださいましたと感謝する。
 その後、焼き鳥を食べ、刺身の盛り合わせを食し、皆で盛り上がるのであった。




参考口演:田辺一乃

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