安倍晴明 百体観音(あべのせいめい ひゃくたいかんのん)

『講談るうむ』管理人




 エー、皆さん「平安時代」というとどのようなイメージをお持ちでしょうか。私なんぞは小学校とか中学校で習った時分、「貴族がきらびやかなお屋敷のなかで、贅沢で優雅な暮らしをしている」というような印象を受けまして、元が呑気な性分でありますから、ああ、生まれ変わるならこの時代がいいななどと思ったものです。しかしどんな時代、どんな身分の人でも、良からぬ事はあるものでして、一見、雅(みやび)やかような平安時代の貴族でも、自分の地位を守るため、あるいはより高い地位を得ようと権謀術数を巡らすわけです。時には卑怯な手を使って敵対する相手を蹴落とす、あるいは逆に自分が蹴落とされる場合もある。そんなことに神経をすり減らし、汲々とする。この話は平安時代の中頃、西暦で申しますと900年代の半ばの出来事でございます。

 我が世の栄華を満月に例えて「この世をばわが世とぞ思う望月(もちづき)の欠けたることもなしと思えば」と有名な歌を詠んだのは藤原道長(ふじわらのみちなが)ですが、この道長の父親が、藤原兼家(ふじわらのかねいえ)です。兼家は兄の兼通(かねみち)と激しい権力闘争を繰り広げますが、兼通が病気で亡くなり、ついには兼家が摂政(せっしょう)に就任いたします。兼家は自分の娘を帝(みかど)の后(きさき)にし、生まれた子供をお世継ぎにする。宮中と親類の縁を結び政治の実権を握ります。藤原氏代々100年ほどこの世襲が続きまして、これを「摂関政治」と呼ぶ。皆さんも遠い昔でしょうか、社会とか日本史で勉強したと思います。
 この兼家には為光(ためみつ)という弟がいる。位は大納言(だいなごん)で、今でいえば国務大臣みたいなものです。この為光がことごとく、兄の兼家と対立する。為光はこの時代としては珍しく、古い因習、従来の考えとは違う発想のできる人物でした。この日も、兄の兼家に対して言上します。

●為光「兄上、国司の腐敗ぶりは甚だしいものです。彼らを戒め、改めさせなければこの国は衰退するばかりです」

 国司というのは、地方を支配する役人で、今でいえば県知事みたいなものです。為光は兼家にさらに意見します。

●為光「国司は、我々の定めた法をまったく守っておりません。勝手なことばかりいたしています。彼らは決められた以上の年貢や税をさんざんに搾り取る。そこで少なからぬ農民は領地を離れて武力でもって対抗しようとしますが、国司は何も手を打とうしません。それどころか残った農民によりいっそう重い年貢や税を課し、これまで以上に苦しめる。悪い方から悪い方へと事は巡っています。これを断ち切るために、なにか思い切った策が必要です」

 為光の訴えは必死です。中央政府の公卿(くぎょう)、今でいう政府高官が国司を任じるのですが、国司というのはおいしい役職ですので任命する際にたんまりワイロをもらえる。また毎年毎年、莫大な付け届けがこれまたある。なので公卿はこのような地方の惨状も見て見ぬふりをする。兼家もまた国司から莫大なワイロや付け届けを受け取っている一人なので何もしようとしない。こうして蓄えた財産をまた他に振り分けて今の自分の地位を得ている。このままでは近いうちに地方も国も破綻する、なんとか悪循環に陥っている現状を改めなければならない、そんな為光の必死の訴えも、己の利欲に捉われている兼家も他の公卿も頑として聞き入れません。自分に与えられた地位や特権を手放したくないばかりに不正も腐敗も直視しようとしない、あるいは国をいっそう苦境に追い込む、破滅に導くようなことさえもする、昔も今もそんな政治家や役人はいるようでございますが。

 (パン)天延(てんえん)3年6月になりまして、夜になると平安京の上空を鵺(ぬえ)が飛ぶようになる。鵺は、顔はまるでサル、胴体はタヌキ、手足はトラ、尾はヘビのようという妖怪でして、翼もないのに空を飛び、「ヒョー、ヒョー」と不気味な鳴き声を発する。今のように騒音のなかった時代、シーンと静まりかえった京の町の空に、この世のものとは思えない奇怪な声が夜どおし響き渡ります。町の人々は、顔を合わすたびに何かとんでもない事が起きるのではないかと噂しあい、おののき、不安にかられ、夜も眠れません。

 これは不吉の予兆に違いないと公卿たちは内裏(だいり)に集まり、どう対処すべきか話し合います。ここには統彰(とうしょう)という名の祈祷師も参席します。統彰は身の丈6尺、筋骨隆々のむっくりした大男で、顔も頭もツヤツヤと照っている。まるでタコ入道のようにも見えます。仰々しく大きな声、大袈裟な仕草で聞くものを威圧する、今風に言えばハッタリをかます奴でして、兼家はこの統彰にすっかり心酔しています。科学というものがまだ無かった時代で、迷信が強く信じられ、世の政(まつりごと)が占いや祈祷で左右されていた。ここでもこの祈祷師・統彰が強い力を持っていました。

◇統彰「あの鵺(ぬえ)を退治するには弓でもって矢を放つしか手立てはありませぬ。それもただの矢ではなりませぬ。矢の先に火を付けるのです。鵺の身体の中に火を撃ち込まなければ倒すことはできませぬ」
●為光「しかし…、統彰様、火を付けた矢を町中で放てば民家・町家にも炎は燃え広がってしまいます。火傷をする者、死ぬ者も出ます。兄上もそう思われますでしょう」
▼兼家「為光よ、統彰様の仰ることは絶対だ。これまでもいろいろと助けて頂いたではないか。統彰様の言葉に間違いはない。」
◇統彰「為光殿。『小の虫は殺して大の虫を助ける』と申しましてな。ある程度の町民が焼け死んだとしても、それは必要欠くべからざる生贄(いけにえ)です。少々手荒い手立てを使ってでもあの鵺(ぬえ)を退治しなければ、もっとただならぬ災いが、この京の町を襲うことになりまするぞ」
●為光「しかし統彰様、兄上。『鵺(ぬえ)』という妖怪は、不吉を知らせるだけではなく、世の乱れを戒めるためにも現れるといいます。今の世の政(まつりごと)が悪いのを諫めているのではないでしょうか」
 これを聞いて兼家は烈火の如く怒ります。

▼兼家「なにを、わしの治政にとやかく申すのか。わしは兄じゃぞ、下がれ、下がれ」

 為光は追い立てられるように座敷を出ます。

◇統彰「兼家殿、わたくしの申すことをいちいちあげつらう。あの弟君は真に厄介ですな」
▼兼家「為光とは、この前も国司の件でいろいろ揉めてな。国司の腐敗が甚だしい、なにか手を打たなければとか、まったく口うるさい奴じゃ。邪魔で邪魔でしょうがない。何か黙らせる手立てはありましょうか」
◇統彰「それならば、為光殿を失明させるというのはどうでしょう。目が見えなくなればもはや政には関われないでしょう。神仏の霊力を使えば容易いことです」
▼兼家「それはいい考えでございます。為光め、もがき苦しむがよい。それもこれも兄に逆らうバチだ」

 さっそくその晩、統彰は自らの祈祷所に籠ります。統彰の祈りは「逆(さか)祈り」です。般若心経の霊符をさかさまに貼る、真っ黒な目を描いた短冊を火にくべる、チリーンチリーンと金鈴を外から内に振り悪霊を呼び込む、こうしてなにやら経文を唱えます。3日4日と経つと為光はどんどんと視力を失い、見るものはぼやけて、なんとか人の顔が判別できる程度にまで視力は落ちていきます。

●為光「統彰様、見るもの見るものみんな、ぼやけてしまいます。5日ほど前から日に日に悪くなる一方です。これはいったいどうしたことでしょう」
◇統彰「為光殿、それは『呪い』でございますな」
●為光「まさか…兄上が呪いをかけたのか…。まったく恐ろしいお方じゃ…。この目はどうにかならないのですか、まったく見えなくなってしまうのですか」
◇統彰「あまりにお気の毒ですな。ひとつだけ策を授けましょう。戌(いぬ)の方に輪谷寺(りんこくじ)という寺院があるのはしっておりますな」
●為光「はい、存じております」
◇統彰「輪谷寺の仏堂には百体の観世音菩薩の像がある。その中のただ一体を一心に祈念すれば、たちまちに目は元のように見えるようになる。ただし一体だけ、一回限り、他の九十九体ではなんの利益(りやく)も得られず、そのまま失明することになる」
●為光「百体の像の中のただ一体でございますか」
◇統彰「わしにもそれがどの像かは分からない。百のなかの一つ。ハハ、まぁ無理じゃな、兄を恨め。兄と弟の諍(いさか)い、まさに『骨肉の争い』じゃな、面白くて面白くてしょうがないわ、ワッハッハッ」

 すっかり心が折れてしまった為光、屋敷に戻ってひとり意気消沈します。しばらくして、今、平安京でも評判になっている陰陽師、安倍晴明(あべのせいめい)に頼ってみようと思いついた。安倍晴明は陰陽寮(おんみょうりょう)の天文博士(てんもんはかせ)で54歳。しばらくは陰に隠れた存在でしたが、この数年頭角を現し、次々と難事を解決していて、宮中や貴族の間でも称賛されています。
 為光はこの安倍晴明の屋敷を訪ねて、事情を話します。

☆晴明「ウム、統彰殿の呪いであるか、それでは私にもどうにもならない」
●為光「このままでは、私は目がまったく見えなくなってしまいます。何か良い策はありますでしょうか」
☆晴明「ウム、とりあえずは占ってみるか」
 晴明は算木(さんぎ)、筮竹(ぜいちく)を取り出して占います。

☆晴明「んん、5日後の辰の刻(こく)、子(ね)の方(かた)じゃな」
●為光「子の方というと、輪谷寺のある方角ですか。5日後というと7月1日ですか」
☆晴明「この日この刻にこの方角にいけば何かがあるということだ。この日はなにか大事(おおごと)が起きる。それ以上のことは私にも分からない。私もこの日、あなた様にご一緒いたしましょう」
●為光「お願いいたします」

 こうして7月1日になりました。旧暦ですから暑い盛りになります。為光と晴明は卯(う)の刻、現在でいいますと朝の5時頃、輪谷寺の仏堂にはいります。扉は開かれ、南向きに据えられた百体の観音菩薩像には朝日が差し込みます。

●為光「晴明様、私にはもう、この観音像のお顔も分かりません。本当にここにいれば目は元の通りになるのでしょうか」
☆晴明「んん、分からぬ。ここにいれば何かある。分かっているのはそれだけじゃ」

 為光と晴明はしばらく仏堂の中で時が過ぎるのを待ちます。

 しばらくして、表にいる人々が東の空を指さします。「あれを見ろ」「あれは何だ」「お日様が小さくなっている」「お天道様が欠けているぞ」。…そうです。日食です。天延3年7月1日、西暦で申しますと975年8月10日の朝早く、ここ平安京で日食が起きました。今の時刻でいう朝6時52分に日食が始まり右上のほうから太陽が少しずつ欠けていきます。やがて半分ほどが欠け、さらに月は大きく太陽に被さる。7割欠け、8割欠け、9割欠け、7時55分、月を取り囲んだ一点からピカリと光を放つ、現在でいうところの「ダイヤモンドリング」という現象です。こうしていよいよ皆既日食になり、あたりは真っ暗人なる。今でこそ日食は秒単位で正確に予測できますが、当時の天文の知識ではとても無理で、人々にとってまさに不意打ちでした。千数百年という長い歴史のある京の都でも今までに3回しか皆既

日食は記録されていません。一番最近は1852年、黒船が浦賀に来航する前の年、その前は1742年、将軍が徳川吉宗だった時代、そしてこの安倍晴明も目の当たりにしたこの975年の日食です。
 この時の模様は、平安時代に編纂された歴史書、『日本紀略(にほんきりゃく)』のなかにも記されていまして、太陽が墨のように黒くなった、多数の星が見える、鳥が群れをなして乱れ飛んだと記録されています。

 さて、この日何かが起こると予言していた安倍晴明ですが、さすがの晴明もこれほどの大事(おおごと)が起こるとは思わなかった。ただ呆然と空を眺めます。気が付くと周りが真っ暗ななか仏堂の観世音の像がただ一体、まばゆいばかりに光を放っている。そこで晴明はハッと気付いた。

☆晴明「為光殿、この光だ、この菩薩だ、この輝いている観世音像を拝むのだ」

 為光もハッと思った。百体ある観音像のなかでただ一体、黄金色に輝いているこの像の前に座り、目をつむり手を合わせ一心不乱に祈念する。為光はしっかりと目を閉じていますが、それでもこの観音
像の燦爛(さんらん)たる輝きは為光の目の中に届きます。

 皆既日食は約3分続き、再びダイヤモンドリングという現象が起こる。今度は左下の方から太陽が少しずつ姿を現します。すると輝きを放っていた一体の観音像も元に戻る。地上は少しずつ明るさを回復し、人々もようやく落ち着きを取り戻します。
 しばらく静まりかえっていたが、ミーンミーンミーンとセミが再び鳴き始めた。観音像の前で懸命に祈っていた為光も我を取り戻し、そっと目を開けます。

●為光「見える…。見えます。菩薩様のお顔がはっきり見えます」

 クルッと振り向くとそこには安倍晴明が立っている。

●為光「晴明様のお顔もはっきり見えます」

 為光は立ち上がり仏堂から外の様子を眺めます。

●為光「景色もはっきり見える。伽藍(がらん)も木立も見える。元に戻った…。これも観音様、お天道様、そして晴明様のおかげです」

 両手で顔を覆いますが、とめどもなく溢れる涙が手を伝って滴り落ちる。

☆晴明「わしの役目は終わったのォ。いや、これから陰陽寮に戻って今回の初虧(しょき:日食のこと)について記録を書かなければならぬ。今日の大事(おおごと)はのちのちの世まで伝わるであろう。しかし世には分からないことがあるものだ」

 こう言い残して輪谷寺の仏堂を去ります。

 さて、為光は政(まつりごと)にも復帰します。あの祈祷師・統彰の呪いを解いたということで、兄の兼家も震えおののき、この後、為光には一目置くようになりました。為光の意見を取り入れて、したい放題に振る舞う国司を取り締まるための役職を新たに設け、こうして苦しみにあえぐ地方の民百姓の暮らしも少しばかりは楽になったと言います。為光はこれからも10年あまり政務に就きますが、45歳になり、すべての役職から身を引き、法住寺(ほうじゅうじ)という寺を平安京の東南、東山に建立します。本堂の傍らには目を救ってくれた輪谷寺の観音様、そっくりの菩薩像が安置されたということです。

 (パン)ちなみに日本で次に皆既日食が起こるのは2035年9月2日。午前10時ころ、北関東から北陸にかけて見られるとのことです。東京では太陽の99%が欠けるのですが、残念ながらもうちょっとという所で完全には隠れません。高崎線に乗って埼玉県鴻巣まで行くと100%月に隠れた皆既日食が見られるそうです。2035年9月2日、あと12年、皆さん元気でその日を迎えましょう。

『安倍晴明 百体観音』という一席、これで読み終わりにいたします。





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