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『赤穂義士外伝〜忠僕直助(誉の刀鍛冶)』あらすじ

(あこうぎしがいでん〜ちゅうぼくなおすけ・ほまれのかたなかじ)



【解説】
 「誉の刀鍛冶」という演題も良く使われる。
 直助は播州赤穂藩家臣・岡島八十右衛門の中間である。困っている人がいるとすぐに施しをしてしまう八十右衛門はいつも金に余裕がなく、差している刀も良い物ではない。彼のことを憎んでいる家老の大野黒兵衛からは、鈍(なまく)ら刀を差している腰抜け侍だと謗りを受ける。これを聞いた直助は大坂へ行って、主人のために良い腰の物を買って差し上げようと思う…。

【あらすじ】
 播州赤穂五万三千石・浅野内匠頭の家来で勘定方を務めている岡島八十右衛門(やそうえもん)は大変真面目な人物であった。また情け深くもあり、困っている人がいると救わずにはいられないという質(たち)であり、しじゅう懐は楽ではない。それに比べ家老の大野黒兵衛は生来の貪欲である。商人と謀って偽物の書画を浅野内匠頭に売りつけようとしたが、岡島八十右衛門がこれを見破る。それ以来、大野黒兵衛は岡島八十右衛門のことを憎んでいる。
 八月十五日夜の月見の宴で、大野黒兵衛は岡島八十右衛門の差している刀を見て、鈍(なまく)ら刀だ、知行泥棒、腰抜け侍だなどと散々に悪口を吐く。これを聞いた岡島の中間の直助。ご主人も好き好んでそんな悪い刀を差している訳ではない。困っている人がいるとすぐに恵んでしまうので余計に使う金がないのだ。直助は大坂へ行って金を貯め、主人のために立派な刀を買って差し上げようと思う。
 直助は夜明け、赤穂を出立する。さて、大阪まで来たものの今晩泊まる宿賃も無い。天満天神に参詣をしたあと、往来でボンヤリしていると、当時、大坂正宗と評判の高い津田越前守助広が槌を打つ音が聞こえる。思わず直助は、弟子にして欲しいと頼み込み、これから宗匠・助広の元で修行することになった。
 三年の月日が経った。直助は、惣領弟子の三八の替りに向こう槌を打ちたいと懇願する。わずか弟子入りして三年の者に出来るような仕事ではないが、助広は承知した。テンカンテンカンと槌を打つ。助広は驚いた。これは十年・十五年みっちり修行したような見事な腕である。過去のことを尋ねると、直助は赤穂藩家臣の岡島八十右衛門の中間であったことや、大坂まで来たいきさつを話す。天満天神の前まで来て槌の音を聞き、刀を買うよりも自分で打ってそれを差し上げた方がご主人は喜んでくださるだろうと思い、弟子入りを願い出たことを打ち明ける。助広は直助の忠義の心に感心する。
 それからも厳しい修業は続く。直助の打った刀は宮中からも称賛を受ける。助広は直助を養子に迎え、『津田近江守助直』と銘を入れることを許される。直助の評判はそれからも上がり、今では師を凌ぐほどである。
 金銀散りばめた立派な大小を拵えた直助は、多くの門弟を引き連れて赤穂へ向かう。かつての主人、岡島八十右衛門と面会し、土産として二振の大小を差し出した。岡島は固く手を握って礼を言う。この後、岡島八十右衛門は赤穂四十七士の一人となり、元禄十五年十二月十四日の吉良邸討入りで使われたのもこの名刀であったという。




参考口演:一龍斎貞山

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