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『赤穂義士外伝〜天野屋利兵衛』あらすじ

(あこうぎしがいでん〜あまのやりへえ)



【解説】
 天野屋利兵衛(あまのやりへえ)(1661〜1733)は大坂の商人。武器の調達など赤穂義士を側面から支援した人物で、それが発覚しそうになっても口を割らなかった英雄として一般によく知られるが、史実では赤穂藩とは関係のない人物であったとのことである。
 廻船問屋の主人の天野屋利兵衛は、赤穂藩の藩主である浅野内匠頭からは深い恩を受けていた。その浅野内匠頭が切腹となる。仇である吉良邸に討ち入る際に必要な忍び道具を揃えるよう大石内蔵助(くらのすけ)から頼まれ、秘密裏に用意するが、それが役人に見つかってしまう。誰から頼まれたのか、奉行所では連日厳しいお取り調べを受けるが利兵衛は喋ろうとしない。白状しなければ息子の七之助を鞭で打ち付けると奉行から脅される…。
 「天野屋利兵衛は男でござります」はあまりに有名な文句。

【あらすじ】
 天野屋利兵衛は泉州堺の廻船問屋の主人で、播州赤穂藩五万三千石の藩主、浅野内匠頭長矩からは深い恩を受けていた。その浅野内匠頭が殿中松之廊下で吉良上野介を刃傷、即日切腹、家は改易となった。それを聞かされた利兵衛。妻には去り状(離縁状)を渡し、七歳の一人息子の七之助を連れ、具足櫃(鎧・兜を収める箱)を背負って槍を担ぎ赤穂へと向かった。仲間に加えて欲しいと言う利兵衛。大石内蔵助は殉死もしない、籠城もしない、主君の仇を討つのでひとまず戻って貰いたいと言う。堺に帰った利兵衛は、吉良邸に討ち入るの必要な忍び道具を揃えるよう、内蔵助から改めて頼まれる。
 その当時、大坂には松野河内守という名奉行がおり、夜遅くまで仕事をしている利兵衛を怪しんで家宅捜索をした。見つかったのは忍びの時に使うロウソク立てが五十丁。謀反人に与する者して捕らえられた。
 取り調べでは忍び道具の頼み手を追及されるが、義理ある方から頼まれたからと白状しない。拷問を受けやつれ果てた利兵衛。倅の七之助が白洲に連れられてきた。七之助は今、家主に預けられているが、友達には泥棒の子とからかわれているという。子供にまで辛い思いをさせているとは心苦しい。河内守の許しがあり利兵衛は七之助をしっかり抱く。白状すればこのかわいい子供と帰宅できると河内守は説得するが、それでも利兵衛は口を割らない。父と子は引き離され、白状しなければ七之助を鞭で打ち付けると脅される。泣き叫ぶ七之助。子供には愛があるが、頼まれた方には義理がある。「天野屋利兵衛は男でござります」。河内守は子供を打ち付けるような愚かな事はしない。
 続けて利兵衛の妻ソデが、夫は謀反人ではないと奉行所に訴えに来る。利兵衛が制止するのにも関わらず、ソデは全てを話す。利兵衛が最も繁く出入りしていたのは浅野様の屋敷で、浅野の殿様からは格別の世話を受けていた事、浅野様切腹お家断絶の後に利兵衛から去り状を渡され里へ帰れと言われた事、利兵衛は息子を連れて具足櫃を背負い槍を担いで赤穂の城へ向かった事を話す。これを聞いた河内守。具足櫃は侍が使うもので、利兵衛のような町人が使うものではない。この者のいう事は信用できない、と妻ソデを追い払ってしまう。河内守は以後、利兵衛の取り調べをせず、彼は牢内に入ったままになる。
 年が明けて、赤穂浪士は仇討ちを決行し吉良の首を討ち取ったという話が利兵衛の耳にも入る。河内守の前で、利兵衛は忍び道具の頼み手は大石内蔵助であると明かす。河内守も実は気付いていた。吉良と浅野の争いであれば、天下を乱すような大事にはならないであろう、さらに忠義の邪魔はしたくないと取り調べを中断したのだと言う。赤穂浪士の仇討ち成功の裏には、このように名奉行・松野河内守と男の中の男・天野屋利兵衛の力があった。




参考口演:一龍斎貞山

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