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『赤穂義士外伝〜忠僕元助』あらすじ

(あこうぎしがいでん〜ちゅうぼくもとすけ)



【解説】
 この読物中の元助は、上州下秋間(現在の群馬県安中市秋間)に百姓の子として生まれる。14歳の時に故郷を出奔、赤穂藩の家臣・片岡源五右衛門の家僕になり、浅野家がお取り潰しになり源五右衛門が浪人になっても仕え続けた。
 赤穂浪士切腹後は故郷に帰り、出家して仏門に入る。20年をかけて四十七士の石像を造り、その菩提を弔った。晩年は房州の和田村(現在の千葉県南房総市)で過ごし、自らの最期を悟ると、滝の脇の洞窟に入り食を断ち、念仏を唱えて入定し即身仏になったという。
 元助の彫った赤穂義士四十七士石像は、北陸新幹線・安中榛名駅近くに現存する。また南房総市和田浦の長香寺には元助の墓が、ここから山中に少し入った場所には元助が入定したと言われる洞窟もある。

【あらすじ】
 赤穂浪士の一人、片岡源五右衛門には元助という忠実な下僕がいる。元禄十五年十二月十三日、いよいよ明日が吉良邸への討ち入りという日、雪の中屋敷へ戻ってきた源五右衛門。出迎えたのは元助である。源五右衛門は元助に、鍋島家への仕官が叶ったがお前を連れて行く訳にはいかないといって暇を出そうとする。金子三両と礼の品を差し出すが元助はこれを聞き入れず、どうしても源五右衛門についていきたいと言う。源五右衛門は実はもう金が無くなったというが、元助は給金などなくても当座はなんとかなると答える。さらに元助のことがもう嫌いになったと源五右衛門はいうが、働き者の元助に悪い点など見当たらない。どんなにごまかそうにも、すぐに元助に見透かされてしまう。元助は自分は恩ある旦那様に命を捧げた、旦那様無しには生きていけないと言う。
 それでもどうしても暇を出すと言い張る源五右衛門。元助は脇差を腹に突き立て、死んで不忠を詫びると言い出す。その時、源五右衛門の屋敷の戸がガラッと開く。四十七士の一人、武林唯七(たけばやしただしち)が訪ねてきたのだ。そそっかしい武林は元助が主人を斬ろうとていると勘違いして、元助の横ッ面をボカンと殴る。何をするんですと、元助は事情を話すと、武林はそうであったかとその忠義ぶりにホロホロと涙する。源五右衛門、武林は二人話し合っているうちに明日の討入りの件をポロッと言い漏らす。これを聞き驚いた元助は、源五右衛門に心中を察せなかったことを詫びる。元助も討入りに同行したいと言うが源五右衛門はこれを断り、国許の家族の世話を頼むと言う。二人は別れの盃を交わす。
 それから元助は部屋を掃き清め、宮八幡武神の額の揚げ、燈明をあげ、赤穂浪士がご本懐を遂げられますようにと祈る。
 十二月十四日夜、赤穂四十七士は吉良邸に討ち入り、見事に上野介の首を取る。翌朝、主君・浅野内匠頭の墓前に報告するため泉岳寺へと向かう赤穂浪士に、元助は一箱のみかんを配り、浪士の喉を潤したという。
 浪士が切腹となると、元助は頭をまるめ、生まれ故郷の安中で二十年の歳月をかけ四十七義士の石像を彫りあげ、榛名山のふもとに祀る。その後、房州で墓守となり余生を送ったと言う。




参考口演:一龍斎貞橘

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