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『赤穂義士銘々伝〜赤垣源蔵 徳利の別れ』あらすじ

(あこうぎしめいめいでん〜あかがきげんぞう とくりのわかれ)




【解説】
 『赤穂義士伝』のなかでも最もよく掛かる読物のひとつ。歌舞伎や講談では「赤垣(あかがき)」という名になっているが、実際は「赤埴(「あかはに」または「あかばね」)」であったとのこと。
 元禄15年12月14日、赤穂浪士の討入りを前にして、浪士の一人の赤垣源蔵は、兄の塩山伊左衛門をの屋敷に暇乞いに行くが、兄は留守であった。女中の竹には討入りのことは告げず、「さる西国の大名に召し抱えられることになった」とだけ言って、兄の羽織の前で別れの杯をする…。

【あらすじ】
 元禄15年12月14日、赤穂義士の面々は昼間のうちに集まって、討入りの手筈を整えた後、西へ東へ散り散りになる。雪の降る中、浪士の一人である赤垣源蔵重賢(あかがきげんぞうよしかた)は、播州龍野の城主、脇坂淡路守の家来になっている兄の塩山伊左衛門(いざえもん)の屋敷にさりげなく別れを告げに訪れる。手にはごく粗末な貧乏徳利を携えている。しかし伊左衛門は所要のため留守である。屋敷には妻がいるが酒飲みの源蔵を嫌い、癪(しゃく)の病と偽って出て来ようとしない。代わって女中の竹が相手になる。源蔵は兄のために持ってきたはずの酒を飲むと言い、竹は呆れる。源蔵は竹にいつも兄が着ている羽織を持ってきて欲しいと言う。いつも兄が座っている場所にその羽織を吊るし、そこへ源蔵は酒を差し出す。源蔵は一人で、まるで兄を相手にしているように、父親や母親の思い出話を語る。不思議がる竹に、源蔵は今日、暇乞いに来た事を話す。西国のとある大名にお召し抱えになり、明朝江戸を出立すると言う。この屋敷を見るのもこれまでかと、雪の中、源蔵は去る。
 兄の伊左衛門が屋敷に戻ってきた。妻は留守中、源蔵が訪ねて来たことを伝え、竹が相手にしたと言う。竹は源蔵の様子を話す。源蔵が「さる西国の大名」に仕官をしたと聞いて、浅野様のことはどう思っているのかと伊左衛門は訝しがる。酒ばかり飲んでいるような源蔵であったが、決して侍の魂を忘れるような者ではない、二君に仕えるようなことはしないと見抜いていた。
 その夜、伊左衛門はどうにも寝付けない。ウトウトとした夜明け、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをし、見事吉良の首を取ったことを知らされる。昨日の源蔵の言葉を思い出し、その浪士の中に源蔵がいるに違いないと伊左衛門は確信する。赤穂浪士の中に源蔵がいるか、中間の市爺を仙台様の屋敷の前まで行かせる。屋敷の前は一目みようと物凄い人だかりである。「浅野の知り合いだ」と言って前へ出ると、そこに源蔵の姿はあった。皆には「恥ずかしからぬ働きをした」と伝えてくだされ、義姉には癪によく効くという薬を渡してくれと言い、さらにその方どもで分けてくれと5両の金を与え、また吉良を見つけた時に吹いた呼子の笛を渡した。「昨日お会いできなかったが残念だった」と兄上に伝えてくれ、こう言い残して、源蔵は赤穂浪士の列に戻った。
 伊左衛門の屋敷に戻った市爺は、源蔵と話した子細を伝える。脇坂の殿様は源蔵が持ってきた徳利をみたいというので、伊左衛門は桐の箱に入れて献上する。「徳利の口よりそれと言わねども昔思えば涙こぼるる」。『赤穂義士銘々伝』より「赤垣源蔵 徳利の別れ」の一席。





参考口演:宝井琴調

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