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『赤穂義士銘々伝〜倉橋伝助』あらすじ

(あこうぎしめいめいでん〜くらはしでんすけ)



【解説】
 倉橋武幸(くらはしたけゆき)(1670〜1703)は赤穂浪士四十七士の一人で通称は伝助。講談では父親は大目付である長谷川丹後守とされ、伝助が赤穂浪士に加わる以前の話になる。
 伝助は女遊びにバクチと遊び呆ける毎日でついには勘当される。バクチ場で同席した男から紹介されて、上総・長南(ちょうなん)の床屋、権次の元で世話を受ける。もとより伝助は将軍様の髪や髭を整える役を引き受けていたことがあったので、床屋の腕はある。男っぷりが良く仕事が上手い伝助は町でも評判になる。権次はそんな彼を婿養子に迎えようと思うのであったが…。

【あらすじ】
 大目付である長谷川丹後守には金三郎という次男の息子がいる。金三郎は女遊びに呆ける毎日でついには勘当され、京橋の小野屋という表向きは魚屋、実はバクチ場に身を寄せる。ある日のこと賭場で、金三郎の隣の席に五十年輩の男が座る。男は金三郎の姿を見ると、正体は身分ある人だと見抜き、このような場にいるべき方ではないと考える。金三郎に10両を渡し、この金で真っ当な仕事をしてくれ、上総街道の先に長南(ちょうなん)という所がありそこに浅野源太という男がいるのでその者を頼っていけと告げる。
 10両という金を貰った金三郎だが遊びに使ってしまい、あっという間に所持金が二分にまで減る。先の男の言葉に従い上総長南を訪れるが、夜になって泊まるべき旅籠も見つからず、髪結床の軒下で寝てしまう。主人の「いかり床」権次が店先で寝ている金三郎を見つけ起こす。当初は不審に思っていた権次だが、金三郎が浅野源太という者を訪ねてきたと言うと、喜んで家の中に招き入れる。権次は金三郎のことについて事前に源太から聞かされていたのだ。あいにくと源太は京、大坂への旅に出ており当分の間は帰ってこないと言う。金三郎は権次に勧められこの家に厄介になる。権次は店の手伝いをさせ、最初は井戸の水汲み、そして髭剃りの練習をさせるがこれが実に上手い。上手いはずで金三郎は勘当される前、将軍様の髪や髭を整える役を言い付かっていたことがあったのだ。金三郎が店にでるようになると、男っぷりが良くて仕事が上手いので店の評判は上がる。権次にはかつて2人の息子がいたのだが、両名とも若くしてこの世を去っている。また、横丁のお梅坊が金三郎に恋心を抱いている。ある日権次は金三郎に、お梅坊を嫁に迎え夫婦でこのいかり床を継いで貰えないかと頼む。自分は武士の身分である。それは勘弁願いたいと、金三郎はこれまでの身の上を話す。権次と妻は、婿養子になってくれるものだと期待していたが、そんな自分たちが愚かだったと涙する。
 権次の勧めで金三郎は江戸へ帰ることになる。江戸で口入れ屋をしている者の紹介を受け、その伝手で鉄砲洲の浅野内匠頭長矩の屋敷に足軽として住み込む。金三郎は素性は知れぬよう、母方の姓を使い「倉橋伝助」と名乗った。この新参者の倉橋は大変な弓術の巧者で家中で一番という腕である。さっそく足軽から士分に取り立てられることになったが、その際身分や過去の役職を記した書面を提出しなければならず、これに偽りを書くわけにはいかない。内匠頭は伝助を呼び付け、なぜ長谷川丹後守という身分ある者の子息なのに名を偽っていたのかをの聴き尋ねる。事情を知った内匠頭は、伝助こと金三郎を長谷川の屋敷へ使者として送り親子対面が叶うよう取り計らう。屋敷で応対に出た御用人の佐藤重兵衛は金三郎が幼いころから世話を受けた者である。「あなたは金三郎様」と久しぶりの若様の姿を見て重兵衛は泣く。金三郎は丹後守の御前に出る。次の間で金三郎の母親と兄がこの様子を見ており「今のは金三郎では」に問う。「他人の空似であろう」と丹後守は取り合わないが、袂は涙で濡れている。
 数日後、内匠頭の助力があって丹後守と金三郎は親と子としての対面が叶う。内匠頭から深い恩義を受けた金三郎は、その後赤穂四十七士の一人として主君の仇討ちに加わるのであった。




参考口演:一龍斎貞水

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