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赤穂義士銘々伝〜杉野十平次と俵星玄蕃

(あこうぎしめいめいでん〜すぎのじゅうへいじとたわらぼしげんば)



【解説】
 杉野次房(すぎのつぎふさ)(1676〜1703)は、赤穂浪士四十七士の一人。通称は十平次(じゅうへいじ)だが、講談では「じへいじ」と発音されることも。立ち槍は宝蔵院流、剣術は神陰流の達人であったとされる。
 江戸潜伏中は夜鳴き蕎麦屋をし、吉良邸の周りを売り歩いて吉良の家来に取り入り屋敷の様子を探る。また槍術の名人である俵星玄蕃(たわらぼしげんば)の道場に招き入れられ交流が始まる。玄蕃は、槍で突いた俵を放り投げて積み上げるという「俵突き」という技で有名である。もとより俵星玄蕃については、後年に講釈師の創作した逸話とされている。

【あらすじ】
 赤穂浪士四十七士の中に杉野十平次(じゅうへいじ)という者がいた。小禄であったが腕は立ち槍は宝蔵院流、剣術は神陰流の達人である。赤穂浪士はさまざまに身を変装し吉良邸の様子を探っていたが、十平次が思いついたのは夜鳴き蕎麦屋である。神田の古道具屋街で屋台一式をそろえ、蕎麦の玉は問屋で仕入れ汁は自分で作る。店の名を「当たり屋」と名付け、チンリンチンリン風鈴を鳴らし、「そばうぅ」と売り声を発しながら吉良邸の周りを歩く。四五日経った夜、吉良の屋敷の門番から声が掛かる。食べてみると盛りがよく味がうまい。翌晩も声が掛かり、蕎麦とともに寒さしのぎに十平次が所持していた酒を茶碗に注いで飲まし、門番たちにすっかり気に入られる。
 十平次は荷が残っていたのでそのまま横網町へ向かう。旗本屋敷の蔀戸が開いて、若い男から注文の声が掛かる。1杯食べてみたがこれが美味く他の者たちからも注文が殺到する。杉野十平次は屋敷の中の道場に呼び入れられる。ここは俵星玄蕃(たわらぼしげんば)という槍の名人の先生の道場である。玄蕃は十平次から酒をご馳走になる。十平次は自分を元は岡山の百姓であったというが、玄蕃は彼が侍であることを見抜く。
 これから毎夜、十平次は吉良の屋敷に通い、その後は俵星玄蕃の道場に向かうようになる。ある日十平次は吉良邸の門番に水を汲ませて貰いたいと頼む。よく知った蕎麦屋だからと門番は屋敷の内に十平次を入れ、その間に十平次は中の様子を探る。
 月の冴えるある日、この夜も俵星玄蕃の道場の中に十平次はいる。玄蕃は「俵突き」を見せると言う。米俵の中に土をいっぱいに詰め、それを庭に二十俵ほど杉なりに積み上げる。玄蕃はそれら俵に槍を刺し次々に放り投げていく。その様子を見ていた十平次の目つきから玄蕃は彼が槍術に心得がある者だと気づく。
 玄蕃先生は朝から酒をあおり稽古もろくにしようとしない。弟子たちは次々と去り、半月ほどで内弟子の藤馬(とうま)一人だけになる。日中、久しぶりに十平次が訪ねて来る。昼間なので屋台は担いでおらず、かまぼこを土産に渡す。玄蕃は十平次に話す。先日、上杉家から使いが来て120石で吉良上野介(こうずけのすけ)の付け人(従者)として仕えるよう話を持ち掛けられた。そうすると浅野様の仇討ちで大石内蔵助(くらのすけ)たち忠義の者たちと戦わなければならず、どうしようかと迷っているという。十平次が京都で遊び呆けていると聞く大石内蔵助には吉良様への仇討の意思などないだろうと返答すると、まともに相談にのろうとしない十平次に玄蕃は怒り、自分のことを武士だと思っていないだろうと道場から追い出してしまう。討ち入りをする側にとって、槍の名人である俵星玄蕃が敵方に付くとなれば困ったことである。玄蕃は果たして吉良の付け人になるのか、ならないのか。十平次は石町鐘撞堂新道(こくちょうかねつきどうしんみち)の大石内蔵助にこの玄蕃の件を話す。何日かして十平次はまた道場を訪ねると、玄蕃は打って変わって上機嫌である。吉良の件は無くなり、加賀家から400石で仕官するよう話を受けたという。実はこれは玄蕃を吉良の付け人にさせないために原惣右衛門を使った大石内蔵助の計略であった。
 12月14日の夜、寝ていた玄蕃はふと目が覚める。遠くから山鹿流の陣太鼓の音が聞こえる。これは赤穂浪士が吉良邸に討ち入ろうとしているのだ。助太刀をしようと槍を抱え、吉良の屋敷の方へ向かうと黒装束の男たちに遮られる。その中の一人こそ「当たり屋」こと杉野十平次であった。十平次もまた彼が俵星玄蕃であることに気付く。玄蕃は赤穂浪士に助太刀したいというが、十平次はそれは主君の望まぬことだと言って断る。そうすると玄蕃は両国橋のたもとへ駆けつけ、槍を突いて大手を広げ「赤穂浪士を邪魔だてする者は許さぬ」と立ち塞がるのであった。
 赤穂浪士が本懐を遂げたとの話を玄蕃は聞きつけ、ニコッと笑って道場に引き揚げる。後日、泉岳寺で大石内蔵助と玄蕃は対面し、加賀家への仕官の話は嘘であったと大石は詫びる。この話が加賀様の耳に入り「忠義の士の言葉を嘘にしてはいけない」と、本当に玄蕃は400石で加賀家に召し抱えられたという。




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