『わんぱく竹千代』あらすじ
(わんぱくたけちよ)
【解説】
前半部分は『幼き日の家光と信綱』、後半部分は、『春日局 家光養育』という演題で独立して演じられることも多い。
三代将軍・徳川家光(1604〜1651)は幼名を竹千代といった。この読物ではわんぱくで手の付けられない子供だったということになっているが、実際は病弱で吃音があり性格は消極的、体格も貧相だった。一方、弟の国松は活発・聡明で容姿端麗な子供であり、父親の秀忠も母親のお江与も、竹千代より国松の方を気に入っていた。
またこの読物の通り、竹千代と国松との間で世継ぎ争いがあり、竹千代の廃嫡が考えられていたとする資料もある。
【あらすじ】
三代将軍家光がまだ幼名の竹千代といった頃の話。手が付けられないほどのわんぱくな子供で「わんぱく竹千代君」というあだ名がついている。いつもわんぱく仲間を集めて相撲を取ったり、泥んこ遊びをしたりしていた。ある日のこと、庭先で大河内長四郎という子供を従えて遊んでいると、奥御殿の屋根に雀の巣があるのを見つける。竹千代は長四郎に「あとであの巣から雀の子を取ってきてくれ」という。子供とはいえ主従の関係なので断るわけにはいかない。
長四郎は夜、御殿の屋根に梯子を掛けて雀の子を取ろうとするが、屋根からドスンの築山の上に落ちてしまう。幸いにも怪我はなかったが気を失ってしまった。真夜中大きな物音がして殿中の女中たちは「さてはくせ者が忍び入ったか」と大騒ぎになる。薙刀を抱えて庭に出ると、そこに寝転がっているのはかわいい子供であった。老女がエイッと喝を入れると長四郎はハッと気が付く。長四郎が周りを見るとまばゆいばかりのお姉さま方に取り囲まれている。ここは極楽かと思っていたら、鬼より怖い将軍様が姿を現す。
将軍は竹千代から申し付かっての事だろうと問い質すが、長四郎は竹千代は何も知らぬ、自分の一存でやった事だと言ってきかない。子供であるとはいえ本当のことを言わないのなら命はないぞと、将軍は言う。長四郎は筵の上で手討になることになった。長四郎は最後の言葉として、将軍にこれからも竹千代様を可愛がってくださいと言う。この期に及んで、まだ竹千代のことを案じている。竹千代は立派な家来を持ったものだと将軍は感心した。振り下ろした刀はサッと首筋をかすめただけで、長四郎は無事だった。
そこへ駆けつけたのが長四郎の叔父である大久保彦左衛門である。彦左衛門は長四郎から事情を聞く。さすがの竹千代も今回ばかりはやり過ぎたと気を揉んでいた。そこへ長四郎が駆け付け固く抱き合い涙する。後に、この長四郎は名宰相、松平伊豆守信綱(のぶつな)となり、家光の良き補佐役になる。
さて、またも竹千代はいたずらの虫が出て来る。これに付け込んだのが、弟である国松君の側近と母親のお江与(えよ)の方である。国松の方が大人しく物分かりの良い子である。彼らの口添えにより、将軍・秀忠の心は竹千代の廃嫡へと傾いていく。この噂を聞いて竹千代の乳母であるお福(のちの春日局)は心配で心配でたまらない。このうえは、大御所、家康公の力に頼るほかない。お福は伊勢詣りに行くと言って江戸を発ち、駿府の城へと参上する。お福は、やはりお世継ぎは長男がなるのが定法だと訴えるが、乳母の分際で天下の政道に口を出すとは無礼であると家康は怒る。江戸へ帰ったお福は神仏に命がけの祈願をする。
お福が帰ったのち、家康は狩倉に行くと言って駿府の城を出るが、突然孫の顔が見たくなりそのまま江戸へ向かうことになる。早馬で連絡を受けた将軍・秀忠は、高輪辺りまでお出迎えをするよう、竹千代、国松それぞれの側近者に言い付ける。国松の守役の本多上野介正純(まさずみ)は、国松に挨拶の言葉を覚えさせる。すぐに国松はスラスラと言えるようになった。一方、竹千代の方は挨拶の言葉を一向に覚えようとしない。
翌朝、家康の乗った駕籠が高輪辺りに差し掛かる。待ち構えていた国松は、挨拶の言葉をスラスラと言う。一方、竹千代は半身駕籠の中に乗りだし、家康に挨拶の言葉はみんな忘れたと言う。家康は唖然とするが、間もなく「偉い」と言って膝を打つ。人の上に立つ者はみだりにお喋りをしてはならないのだ。
家康一行は千代田の城に到着する。将軍・秀忠は竹千代はわんぱく過ぎるので、国松を三代目にしようかと思うと言う心づもりであった。しかし家康は秀忠と顔を合わせた途端に、「将軍家には竹千代君という良きお世継ぎを持たれ恐悦申し上げる」と言う。こう言われては、世継ぎは竹千代にするしか他は無い。竹千代廃嫡という話は煙りのように消えた。竹千代は三代将軍・家光となり、これから徳川三百年の礎を築く。