『講談るうむ』トップページへ戻る講談あらすじメニューページへ メールはこちら |


『淀五郎(沢村淀五郎)』あらすじ

(よどごろう、さわむらよどごろう)


【解説】
 『沢村淀五郎』『団蔵と淀五郎』などの演題が使われることもある。講談よりは落語でお馴染みの噺で、昭和の名人の六代目三遊亭圓生や八代目林家正蔵が得意とし、現在も演じる人は多い。江戸時代の歌舞伎の世界が舞台になる。
 浅草猿若町・森田座の暮れの狂言で『仮名手本忠臣蔵』で掛かることになる。しかし直前になって塩冶判官役の役者が急病になってしまう。そこで座頭の市川団蔵が抜擢したのがまだ下っ端の役者である沢村淀五郎であった。しかし初日、この淀五郎の演技が非常にまずい。団蔵演じる大星由良之助は段取り通り、判官に近寄ろうとしない…。

【あらすじ】
 浅草・猿若町の森田座が暮れの狂言に出したのが『仮名手本忠臣蔵』で、名人といわれた四代目市川団蔵が座頭である。団蔵が大星由良助(おおぼしゆらのすけ)と高師直(こうのもろなお)の二役。その他の役者の配役も決まった。いよいよこれから稽古にかかろうという前の日、塩冶判官(えんやはんがん)役の役者が急病になる。「香盤をもってこい」。相中の位で沢村淀五郎という役者がいるが、まだ塩冶判官など演じられる役者ではない。しかし団蔵の鶴の一声で名題に引き上げられ、淀五郎に塩冶判官の役が割り当てられた。喜んだ淀五郎は役を懸命に研究する。
 さて初日、客席は大入り満員である。大序から三段目まで何事もなく進み、四段目塩冶判官腹切の場。「力弥、力弥、由良之助はまだまだか」「いまだ参上仕りません」。由良之助役の団蔵は淀五郎演じる判官を覗くが、これがあまりにひどい。判官が左の脇腹に刀を刺したところで由良之助が現われ、花道の七三のところで「只今到着つかまつってござりまする」。これから由良之助は本舞台に上がり、判官の元に近づく筋書きだが、いつまで経っても団蔵は花道から動こうとしない。そのまま判官は「待ち兼ねた」と言って幕になる。
 2日目、3日目も同様であった。幕が閉まって淀五郎は団蔵の部屋を訪れる。なぜ花道から動かず、本舞台へと来ようとしないのか、何か気に召さないのでしょうかと淀五郎は尋ねる。団蔵は貴様の演技に良い所なんかひとつも無い、まるで判官の様になっていない、明日は舞台で本身(ほんみ)の刀で自分の腹をズブリと刺して死んでしまえと言う。悔しさでいっぱいの淀五郎。明日は、舞台の上で団蔵を刺し殺して、自分も本当に腹を切って死んでしまおうと考える。
 淀五郎がぼんやり歩いていると、中村座の裏である。当時、座頭は中村仲蔵で『仮名手本忠臣蔵』の中の斧定九郎というチョイ役を大きな役にした名人である。世話になった仲蔵に暇乞いをしようと淀五郎は彼に会う。舞台の上で団蔵を刺し殺して、自分も腹を切って死ぬと淀五郎が言うと、仲蔵はそんな忠臣蔵があるかと笑う。
 淀五郎は仲蔵の前で、判官の役を演じてみるが、やはり仲蔵もまるで判官になっていないと言う。5万3千石の大名であるから品位を落とさず、膝に手をついたまま切腹する。耳の後ろに青黛(せいたい)を付けておき、それを唇に塗って真っ青にする。腹を切るときは、寒中に頭から水を浴びたような心持でなければならない、などの工夫や心構えを伝える。
 さて4日目の舞台、4段目。団蔵が見ると、昨日までとは打って変わっていい判官の演技である。判官が左わき腹に九寸五分を刺した瞬間、団蔵の由良之助が現われ、花道で止まる。石堂右馬丞が「苦しゅうない、近う進め。近う。近う」という。団蔵は本舞台へとかかってきて、判官の前で両手を着く。淀五郎がみると団蔵がすぐそばにいる。「待ち兼ねた」。
 団蔵は淀五郎の耳元で「仲蔵に教わったな」と言う。こうして沢村淀五郎は後世に名の残る名役者になったという。




参考口演:一龍斎貞弥

講談るうむ(http://koudanfan.web.fc2.com/index.html
inserted by FC2 system