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湯水の行水

(ゆみずのぎょうずい)


【解説】
 鳥居忠広(とりいただひろ)(?〜1573)と成瀬正義(なるせまさよし)(1535〜1573)は徳川氏の家臣。三方ヶ原の戦い(1573年)の折、籠城を主張した鳥居に対して成瀬は「腰抜け」と言い放ち両者は喧嘩になったという。この逸話が膨らんで両人仲が悪かったと言い伝えられているのだろう。この読物の通り、両者ともこの三方ヶ原の戦いで命を落としている。

【あらすじ】
 遠州浜松の城主、徳川家康の家来で、鳥居四郎左衛門忠広(とりいしろうざえもんただひろ)と成瀬藤蔵正義(なるせとうぞうまさよし)の二人がいる。この二人の屋敷は隣同士なのだが、どういうわけか仲が大変に悪い。
 元亀3年12月のはじめの頃、遠州の空っ風が吹く寒い日である。鳥居四郎左衛門が庭を歩いている。ひょいとみると隣では成瀬藤蔵は植木をいじっている。鳥居四郎左衛門は中間の治助に、庭に大盥(たらい)を据えてそこに湯を汲めと言い付ける。そこで四郎左衛門は行水をするというのだが、そんなことをすれば風邪をひいてしまう。治助は押し留めようとするが、四郎左衛門は言うことをきかない。四郎左衛門は盥のなかで行水をし、治助に身体を洗ってもらう。敵に首をいつ取られるとも分からない。その時首に垢が付いていては名折れなので、ふだんからこうして首を洗っておくのである。隣の腰抜け侍とは訳が違う、と言って笑う。
 この声は隣の成瀬藤蔵に筒抜けである。怒った成瀬は中間に言い付けて水を汲んだ大盥を用意させ、行水する。湯を使って行水するのは弱虫、真の勇者は水で行水しなければならないと言う。
 この声がまた隣の四郎左衛門の元に聞こえ、盥の湯をザッーと流す。今度は氷の張ってある水を盥に汲み、その中に入る。氷水が身にしみるが、この方が垢がよく落ちるという。これを聞いた成瀬藤蔵は中間に、手拭なんてヤワな物は使うな。縄に砂を付けてそれで、首を擦れという。「いい加減にいたせ」。ついに鳥居四郎左衛門と成瀬藤蔵が刀を手に取り、チャリンチャリンとやり合い、もう手に負えない状態である。
 そこへ通りかかったのが、酒井左衛門尉忠次(さかいさえもんのじょうただつぐ)。日頃から仲の悪い鳥居と成瀬が始めおったな。庭に入ると、二人は真っ裸で真剣勝負をしている。酒井が仲裁に入ろうとするが、二人は聞く耳を持たない。酒井は二人を禄盗人だといって笑う。もし一人が死んだなら、どうして武田相手に決戦をする。これには二人ともハッとする。決着は戦場で付けようと、二人の諍いは一応は収まる。
 元亀3年12月22日、天竜川を渡った武田軍は、浜松に向かうと思いきや、グッと進路を北に向け、三方ヶ原を通過しようとする。これを迎え討とうと8千の徳川の軍は駆けあがる。そこに待ち構えていたのが、2万5千の武田の大軍。こうして戦いは始まり両者一歩も譲らない。鳥居と成瀬、両者駆け寄ると互いに取った敵の兜首は3つずつである。またまた二人は戦場に出る。やがて徳川が劣勢になる。成瀬は山県昌景(やまがたまさかげ)の軍に取り囲まれ、斬り死にをする。その知らせを聞いた鳥居も敵陣深く斬り込み命を落とすのであった。




参考口演:田辺一邑

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