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『万両婿』あらすじ

(まんりょうむこ)



【解説】
 落語では『小間物屋政談』という演題でかつては昭和の名人、古今亭志ん生や三遊亭圓生も演じ、現在でも比較的聴く機会の多い噺である。講談では別に『小間物屋政談』という演題の話があるのでややこしい。
 京橋・五郎兵衛町に住む小間物屋小四郎。荷を背負って売り歩く背負い小間物屋である。商売熱心な小四郎は女房を江戸へ残して、上方まで商売に出向く。その途中、箱根の山中で追剥に襲われた若狭屋仁兵衛と出会った。小四郎は若狭屋に江戸まで戻る路用として3両、着替え、自分の住所・名前を書いた紙を渡して別れる。江戸へ帰る途中の小田原の宿で、若狭屋はそれまでの心労が祟り死んでしまった…。

【あらすじ】
 江戸の京橋・五郎兵衛町に相生屋小四郎という小間物屋がいた。櫛、簪(かんざし)などを背負って売り歩く、俗にいう背負(しょ)い小間物屋である。大変、商売熱心な男で、江戸から上方に珍しい物を持って行って、その逆にまた上方から江戸へ珍しい物を持っていけば良い商いになるだろうと考えた。女房のおときに留守を任せ、江戸を出る。
 小田原を過ぎ箱根八里の山の中で、どこからか「もし、お待ちくださいまし」と声を掛けられる。ひょいと振り返ると襦袢(じゅばん)一枚の姿の男がおり、聞くと追剥にやられたという。この男は若狭屋仁兵衛といい、江戸・芝で大きな小間物屋を営む者である。身体の具合があまり良くないのでひとり、箱根に湯治に行く途中この災難にあったという。小四郎は着替えと江戸へ帰る路用として3両の金を若狭屋に与え、自分の住所と名前を認めた紙を渡す。こうして西・東と2人は別れ、小四郎は上方へ、若狭屋は小田原の宿に泊まる。
 しかしその晩、若狭屋は宿で苦しみ出しそのまま息を引き取る。宿の方では宿帳を付け忘れていて、この客の身元が分からない。客の遺した物を調べると、財布の中から「江戸京橋五郎兵衛町 家主 喜右衛門店(たな)小間物屋 相生屋小四郎」と書いた紙が見つかる。宿の主は書面に認め、すぐに京橋の小四郎の女房、おときの元へ連絡が届いた。おときは家主・喜右衛門に相談し、家主と藤助ふたりで小田原まで出向くことになった。死骸は近くの寺に仮埋葬されており、掘り起こして棺桶の中を見てみると、確かに着衣は小四郎の物である。なんとなくおかしいところはあるものの、ろくに顔を見ずに、小四郎で間違いないということにしてしまう。火葬にし、葬式を済ませるが、その後もおときは泣いてばかりである。
 死んだことにされてしまった小四郎の従兄弟で佐吉という者がいて、やはり小間物屋をしている。佐吉は後見としておときの仕事の手伝いをするようになり、次第に二人は仲が良くなっていく。周囲の者たちに勧められてやがて二人は夫婦になる。
 一方、小四郎は上方での商いも無事終え、久しぶりに夜、京橋・五郎兵衛町の我が家に帰ってくる。死んだはずの小四郎が急に現れて「これは幽霊が化けて出た」おときと佐吉は慌てて長屋を飛び出す。大家も驚き、これを見て小四郎は若狭屋仁兵衛と間違えて、自分が死んだことにされてしまったと気づく。さて困った、小四郎という亭主がいるにも関わらずおときと佐吉を夫婦にしてしまった。小四郎も佐吉もおときは自分の女房だと言って譲らない。おときは佐吉と別れようとは思っていない。大家は小四郎に、お前はどこかへ行って死んでしまえと言う。そんな馬鹿なと小四郎は怒る。
 小四郎は南町奉行の大岡越前守においそれと訴えて出る。人というのは諦めが肝心。おときは佐吉と一緒にさせ、店も二人に譲り、お前はどこかへ行って死んでしまえと越前守は言う。それでは大家と同じではないか。それでは小四郎があまりに可哀そうだ。ここに若狭屋仁兵衛の妻、およしが現われた。越前守はおよしにこれも何かの縁、小四郎を亭主に迎えたらどうかと言う。およしは器量良しで、年は23歳、しかも身代は3万両、「これは有難い」思わず口走ってしまった小四郎。小四郎、およしとも異存はない。背負い小間物屋から万両の身代の主となった小四郎のことを、人は『万両婿』と呼んだという。





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