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『無筆の出世』あらすじ

(むひつのしゅっせ)


【解説】
 中間(ちゅうげん:奉公人)の身分であった治助という男の出世譚。中間の治助は佐々与左衛門という旗本に仕えていたが、酒乱の主人に嫌気がさして家を飛び出してしまう。文字も読めなかった治助だが、夏目左内という武士の元で読み書きや算盤を習い、みるみるうちに習得していく。左内の片腕として働き次々と成果をあげ、ついには勘定奉行にまで出世する。一方、元の主人は無役で不遇のままであった。二十数年ぶりにその主人と出会う。同様の話で「仏の作蔵 命の手習い」という読み物もあり、主人公の名は「作蔵」、旗本の名は「山中勘十郎」に変わる。

【あらすじ】
 江戸番町に住む旗本、佐々(さっさ)与左衛門は酒を飲むと酒乱になる。ある日、中間の治助を連れて向井将監(しょうげん)の屋敷を訪れる。屋敷では将監の息子の誕生日祝いが催されるが、与左衛門の酒癖の悪さを知っている周りの者たちは誰も盃に酒を酌もうとはしない。将監は与左衛門の酔いの具合を試してみようと、刀剣の目利きをしてもらう。「これは井上真改和泉守である」と鑑定するが、見事正解である。これで止めればよかったのだが、得意になった与左衛門はさらに試し斬りとして供の治助の片腕を斬ってくれと言いだす。これには一同慌てて今日は誕生日の祝いだからと、与左衛門を屋敷へ返す。
 翌日、二日酔いの与左衛門の屋敷に向井将監の元から昨日の件で手紙が届く。とんだことを言ってしまったと驚く与左衛門。事情を知らぬ治助に「この者を斬ってよい」と書いた手紙を持たせて、将監の屋敷へと届けさす。途中、治助は渡し船に乗ると、慌てて文箱を川に落としてしまう。間もなく文箱は拾い上げられ、濡れた手紙を広げて乾かす。文字の読めない治助に代わって品のいい老僧が手紙を読み、「あなたには死相が出ている」と告げる。主人の情けなさを嘆く治助。与左衛門の元を去る決意をする。この老僧・日延に押上の寺まで連れていかれ、治助は寺の小僧になる。寺では日延の碁の対戦相手、夏目左内にその実朴さを気に入られ、今度は左内の元で働く。ある日、左内は治助が件の手紙を手本に手習いの稽古をしているのを見かける。治助の熱心さに感心した左内は、読み書き算盤、さらには全ての学問一通りを教え、もとより利発で真面目な治助は次々とこれらを習得していく。
 そのうちに左内は勘定奉行添え役に出世する。治助の助けがあって効率よく仕事をすすめ、さらにはお目付役に出世する。この時に治助は御家人になり徳川家直属の家来となり、松山伊予守治助と名乗る。仕事の能力があってまた性格も真面目な治助の評価はひじょうに高く、トントン拍子に出世をし、ついには勘定奉行という大役を仰せつかるまでになる。ふつうは中間からはあり得ない昇進である。
 治助が与左衛門の元を出奔してから二十数年経った。相も変わらず与左衛門は無役のままである。ある日、与左衛門は伊予守から茶会に招かれる。はて、どうして自分なぞが招待されるのか不思議に思いながら、軽子坂の屋敷を訪ねる。床の間の掛け軸には手紙のような物が表装してある。「佐々殿。これに見覚えはありますかな」。与左衛門が見るとこれは間違いなく自分の手蹟で、二十数年前に使いに送った治助を斬り捨てても良いと書いた向井将監宛ての手紙である。伊予守は自分がかつて与左衛門の中間をしていた治助であることを打ち明ける。与左衛門を恨みには思ってはおらず、かえって自らの無学を恥じそれをバネに発奮して、ついに現在の立場までになれたのだ、今は与左衛門には感謝していると言う。これをじっと聞いていた与左衛門は、あの後帰ってこない治助の身を上手く逃げてくれればいいといつも案じていた。自らの非道さを悔い、それからは酒はピッタリと止めたと言う。こうして2人の交流が再び始まり、伊予守は不遇な与左衛門のために尽くした。「恩を仇で返す」ならぬ「仇を恩で返す」。伊予守の名声はますます高まったという。




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