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『名刀捨丸の由来(めいとうすてまるのゆらい)』あらすじ




 木曽の山奥切岸の在、三濃村という寒村で百姓の治兵衛に2人の息子がいた。兄が治太郎、弟が治三郎という。治太郎は子供の頃から手癖が悪く次第に大きくなるにつれて手に負えなくなってくる。十六歳の時に勘当になって村を出ていき行方知れずになる。治三郎は兄とは違って親孝行な息子である。十六歳の時に親の許しを得て江戸へ出て、日本橋大伝馬町の呉服問屋、佐野屋というところに奉公に上がる。一生懸命働き性格も良く、主も喜んでいる。
 こうして奉公しているうちに十年という歳月が経った。治三郎が無駄遣いもせず今までコツコツと貯めた金を数えると四十三両二分という大金になった。この金を木曽の両親の元へ届けたいのでしばらくお暇を頂きたいと主人に申し出る。主人は治三郎の親孝行と今まで良く働いてくれた事に免じこれを許す。さらに金を積み増し五十両という額にしてくれた。いよいよ出発という日。主人は大金を持っての旅は物騒だからと道中差しを譲ってくれた。
 佐野屋を出発した治三郎は泊りを重ねる。木曽福島から先、追分で左の木曽街道へ入るところを間違えて右に行ってしまい、道に迷う。行けども行けども山の中で、もう夕方になってしまった。木立の向こうに一軒の家の明かりが見える。今夜一晩泊めてもらおうと、この家を訪ねる。出てきたのは二十七、八のこんな山の中では見られないようないい女性。女性は自分の亭主がこの辺りを根城にしている捨丸という山賊であると打ち明け、一旦は宿泊を断るが、結局奥の押し入れに内緒で泊めてくれることになった。
 間もなく亭主の捨丸が帰ってくる。帰ってくるなり捨丸はいきなり酒を飲み始める。追分で往く人々を見張っていた捨丸には、この家に一人の男性が来ていることが分かっていた。女房を責め、ぶったり蹴ったりする。押し入れの中に隠れていた治三郎は思わず飛び出し捨丸の暴力を止める。今度は治三郎は喉元に刀を突き立たされて脅迫され、五十両の金と着物、道中差しを差し出す。途中、猪などに襲われるかも知れないということで、代わりの錆びだらけの道中差しを捨丸から受け取った。役人に知られては大変と、家を出た治三郎を捨丸は鉄砲で撃ち殺そうとするが、幸いにも玉が彼に当たることはなかった。
 治三郎は旅の人の情けにすがりながら、江戸へ戻ってくる。びっくりする主人に事情を話す。主人はともかく命は助かって良かったと元気づける。山賊から貰ったという脇差を見せてもらった主人。彼は刀の目利きができる。これは価値のあるものだと、刀を研ぎに出すと、これは薩州谷山の住人、波平行安(なみのひらゆきやす)の名刀だということが分かった。刀屋の間でこれが評判となり、上杉の殿様が二百両で買いあげてくれ、刀には「捨丸」という名が付いた。
 治三郎は今度はこの二百両を持って、再び親元へと旅立つ。何の気の迷いか、また追分の所で右に進み、捨丸の家の前へ来た。目に入ったのはやせ衰えた捨丸の姿。先に治三郎が訪れた時、帰ろうとする彼を鉄砲で撃とうとし蹴つまづき、身体に毒が回ってこのようになってしまったという。そんなに困っているのなら二百両のうちの半分の百両を置いていくから山賊なんぞやめて気質になってくれと治三郎は言う。生まれて初めて聞いた優しい言葉に、止めどもなく涙を流す捨丸。身の上を話すうちに、捨丸と治三郎は兄弟であることが分かる。
 翌朝、捨丸は自害していた。治三郎は捨丸の女房と共に三濃村に向かう。二百両という金で質に入っていた田畑を元に戻して、長い間親に孝行を尽くした。捨丸の女房は尼となり、夫と彼の手にかかった人々の菩提を弔ったという。




参考口演:神田松鯉

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