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『夫婦餅(幸助餅)』あらすじ

(めおともち・こうすけもち)



【解説】
 日本の近代喜劇の第一人者、曾我廼家五郎(脚本家としては一堺漁人:いっかいぎょじん)の代表作で松竹新喜劇で演じられる。また落語、講談、浪曲、さらに最近では歌舞伎の演目にもなっている。
 両国広小路の菓子屋、幸助は大変な相撲好きである。横綱の梅ヶ谷に入れ込み、そのため生活に困るという有様である。女房のお玉は以前勤めていた柳橋の置屋を訪ね、再び芸者として働くことになる。また置屋の主、新兵衛は50両という金を幸助に貸してくれた。相撲とはきっぱり手を切ると決心した幸助。しかし、柳橋からの帰り道、偶然梅ヶ谷と出会う。梅ヶ谷の弟子の昇進祝いとして受け取ったばかり50両の金を渡してしまう…。

【あらすじ】
 幕末の頃、江戸は両国広小路に玉川屋という名代の菓子屋があった。主の幸助は二十二、三歳の男盛り。柳橋・橘屋のお玉という芸者を身請けして妻にしたが、これが実に良く働いて気の利くいい女房である。幸助にはひとつ悪い点があった。彼は度を越した相撲好きであり、場所が始まると何事も投げ出して相撲見物に行ってしまう。横綱の梅ヶ谷藤太郎(とうたろう)が贔屓で、暇さえあれば梅ヶ谷やその弟子を連れて遊び歩いている。この遊興が元で身代は傾き、店を人手に渡さなければならなくなった。しかしこれでも目が覚めない幸助はやはり梅ヶ谷に入れ込み借金を重ねていく。今は神田橋本町に一間間口の小さな家を借り、夫婦二人でその日の金にも困るという生活をしている。
 暮れも押し迫ったある日、幸助の元に柳橋の芸者置屋・橘屋から迎えの者がやって来た。橘屋を訪れると、主の新兵衛が待っていた。実は今日お玉が昔身を置いていたこの店を訪れた。再び芸者に出て働きたい。それで金を作って幸助に小商いでもさせたいと頼みにきたと言う。新兵衛は相撲への熱がまだ覚めない幸助を諭す。幸助も改心し、相撲とはきっぱり手を切り懸命に働くことを、その場に来たお玉と涙ながらに約束する。新兵衛は新たな商売の元手にしてくれと五十両の金を幸助に貸してくれた。
 幸助は柳橋の置屋を出て浅草を歩いていると、三人の弟子を引き連れた梅ヶ谷とばったり出会った。仕事が忙しいからと別れようとする幸助だが、弟子の磯之浜が幕に入った事を聞かされるとすっかり喜んでしまった。近くの料理屋に入り磯之浜の出世を祝い、新兵衛から借りたばかりの五十両を祝儀として渡してしまう。
 橋本町の家に帰った幸助はお玉と夫婦喧嘩をする。この日の事は新兵衛の耳にも入った。新兵衛は梅ヶ谷の家を訪ねる。事情を話し五十両の金を幸助に返すよう頼むが、梅ヶ谷はこれを拒む。恩ある幸助に対する横綱の義理のなさに新兵衛は怒る。新兵衛は幸助の家を訪ね、今度は大福餅を売る事を提案する。さらにお玉の発案で赤と白の餅を重ねてこれを夫婦餅として売ることにした。年が明けて春、幸助は新兵衛の支援を得て、両国広小路の目抜きの場所に店を出した。幸助が餅を作りお玉がそれを売り、店は大変に賑わう。
 しばらくすると、一台の車を引いた力士たちが店先に現れた。「夫婦餅の店開き、おめでとうございまする」と、店の前に米俵と小豆俵を山の如く積み上げる。梅ヶ谷を筆頭に東西の幕内力士が全員居並んでいる姿の見事なこと。一度相撲取りに渡した金をまた取り戻したとなれば、幸助に悪い評判が立つ。それこそ恩を仇で返すようなものだ。それで敢えて五十両の金を返さなかったと梅ヶ谷は打ち明ける。梅ヶ谷は開店の祝いとして五十両を渡した。幸助も新兵衛も涙ながらに喜ぶ。梅ヶ谷の後ろ盾もあってこの店は後々まで長く繁盛したという。




参考口演:一龍斎貞寿

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