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『左甚五郎 陽明門の間違い』あらすじ

(ひだりじんごろう ようめいもんのまちがい)



【解説】
 日光・陽明門の普請を巡っての二人の名工、甚五郎と栗原遠々江の話で、荒々しくも残酷な場面もあるがこれも講談ならではだろう。
 三代将軍・家光が日光東照宮の陽明門の普請を命じる。日光で一番の腕を持つ大工の栗原遠々江がこれを引き受けるが、二年経っても普請は出来上がらない。そこで助っ人として江戸から甚五郎が日光に送り込まれる。すると陽明門は三ヶ月で完成する。「やはり甚五郎の方が出来が良い」と人々の間では評判になるが、遠々江はこれが面白くない。遠々江の意を汲んだ一番弟子の滝五郎が甚五郎の右腕を斬り落としてしまう…。

【あらすじ】
 三代将軍・家光は日光東照宮の陽明門の普請をお命じになる。この普請は、日光で一番の腕を持つ大工、栗原遠々江(くりはらとおとうみ)に任せられることになった。しかし遠々江には名人気質というか偏屈なところがあり、二年経っても陽明門は出来上がらず、家光公は御立腹である。これを聞いた天下のご意見番、大久保彦左衛門は、自分の屋敷に出入りしている甚五郎に日光にいくよう命じる。甚五郎は30人ほどの弟子を引き連れて日光へと向かう。
 甚五郎は栗原遠々江の下で働き、三ヶ月で陽明門の普請は完成する。これを見た人々の間から「やはり甚五郎の方が良い出来だ」との評判が立ち、遠々江は面白くない。普請が完成した祝いの酒席で、遠々江は一番弟子の滝五郎に不満をぶつける。普請の評判を甚五郎に取られてしまい大きな恥をかいた。これから甚五郎のところへいって叩き斬ってくると言う。脇差を持って飛び出そうとする遠々江を滝五郎は押し留める。ならばお前が代わりに甚五郎を斬ってこいと遠々江は言うが、滝五郎はこれをなだめる。滝五郎の女房はお春といい、この地では知られた侠客、今市の藤右衛門の妹であった。滝五郎もまた義侠に富む男である。
 滝五郎は常吉という若い者を連れて、甚五郎の泊っている柏屋という旅籠屋まで来る。常吉になにやら話すと滝五郎は裏庭へ回る。宿の主・茂助は常吉から甚五郎の身が危ないという話を聞かされる。身の安全のため甚五郎に奥の離れへ移って貰おうとするが、そこで庭の燈籠の陰に隠れていた滝五郎が飛び出し、脇差で甚五郎の右腕をスパッと斬る。すぐさま医者を呼ぶが、気丈な甚五郎は、普請の上の評判で命を取られればそれも本望だと言う。甚五郎の右腕を斬り落とされ、弟子たちの怒りは頂点に達っしている。遠々江に復讐に行こうとするが、甚五郎は「しばらく様子を見ろ」と言って押し留める。
 一方、栗原遠々江の家では、滝五郎は斬り落とした甚五郎の右腕を見せる。遠々江は「首は取れなかったが右腕は取れた」と満足する。すると滝五郎は「甚五郎の右腕を取ったからには、今度は親方の左腕を取る」と言って、遠々江の左腕をスパッと斬り落とす。さきほど甚五郎を手当てした医者がやって来て、「よく腕が斬られる日だ」と言って不思議がる。
 滝五郎が柏屋に来て、「お許し頂けるとは思えないが、せめてものお詫びだ」と言って遠々江の左腕を差し出す。「あっしがいなくなりましたら、親方と仲良くしてください」と言って、滝五郎は脇差を腹に突き刺してそのまま絶命してしまった。
 滝五郎の命がけの願いを柏屋の茂助から聞かされ、遠々江は目が覚めた。今市の藤右衛門を通して甚五郎に詫びを入れる。これから甚五郎は遠々江と兄弟分になり、固めの盃を交わす。大工の鑑だとして、滝五郎の亡骸は菩提寺に懇ろに葬られた。
 数年後、家光公は上野の御霊屋で左右の扉に龍を彫るよう命じ、右の雄龍は遠々江が、左の雌龍は甚五郎がそれぞれ彫り上げた。この龍は評判になり、左手一本で仕事をやり遂げた、それから甚五郎は「左甚五郎」と呼ばれるようになったと言う。




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